3月31日火曜日: 僕は白でありたいと思っていますが…
カテゴリ: 書斎で書くこと
最近、ナショナリズム的なことについて書くことが多くなっている。「ナショナリズム的」とは、我ながら気持ちの悪い言葉遣いだが、「ナショナリズム」という概念が、なかなか規定しがたいので致し方ない。
政治と国家と文化と、個性と個人と、それらがオリンピックのマークのように重なり絡み合って、そしてさらに、それらの全てに、それぞれ「かくありたい」と「かくあるべき」というものが、個人的に存在するものだから、すっかりお手上げなのである。
「個性」と、「かくありたい自分」のふたつについてだけ語っていても、僕の場合は出口のない迷宮に嵌まり込みそうなのに、それに「べき」とか、さらには「全体」などというものが加わってしまったら、もうどうにもならない。それがわかっていながら、そのどうにもならないものに捉えられてしまっている。
そうすると、「白黒はっきりさせろ的」な話になる。たとえば、僕は極めて白に近いのに、黒も判るなんて言おうものなら、途端に限りなく黒っぽい考えの持ち主に見えてくる。そう見られるのが嫌ならば、徹底的に白だと言い続けなければならない。そうやって、黒とは決して通じ得ない「白」という「党派」が出来上がる。そのほうが、仲間ができて、安心なのである。
明日は4月1日。嘘と「文化」にまつわる極めて軽い過去の日記を公開する。
政治と国家と文化と、個性と個人と、それらがオリンピックのマークのように重なり絡み合って、そしてさらに、それらの全てに、それぞれ「かくありたい」と「かくあるべき」というものが、個人的に存在するものだから、すっかりお手上げなのである。
「個性」と、「かくありたい自分」のふたつについてだけ語っていても、僕の場合は出口のない迷宮に嵌まり込みそうなのに、それに「べき」とか、さらには「全体」などというものが加わってしまったら、もうどうにもならない。それがわかっていながら、そのどうにもならないものに捉えられてしまっている。
そうすると、「白黒はっきりさせろ的」な話になる。たとえば、僕は極めて白に近いのに、黒も判るなんて言おうものなら、途端に限りなく黒っぽい考えの持ち主に見えてくる。そう見られるのが嫌ならば、徹底的に白だと言い続けなければならない。そうやって、黒とは決して通じ得ない「白」という「党派」が出来上がる。そのほうが、仲間ができて、安心なのである。
明日は4月1日。嘘と「文化」にまつわる極めて軽い過去の日記を公開する。
3月17日火曜日: 《95/3/17のノート》ということは…
カテゴリ: 書斎で書くこと
《1995年3月17日のノート》
昨日で手術からちょうど一年。今日、区切りのCT検査
…ということは、昨日でちょうど15年だったということか。
1995年は、殆どノートに何も書いていない。
この日の前は…
《1995年3月3日のノート》
雛祭り。登戸病院へ。
《1995年7月7日のノート》
七夕祭り。登戸病院へ。
5月5日の子どもの日には、何も書いていないのだ。
昨日で手術からちょうど一年。今日、区切りのCT検査
(1995/3/17)
…ということは、昨日でちょうど15年だったということか。
1995年は、殆どノートに何も書いていない。
この日の前は…
《1995年3月3日のノート》
雛祭り。登戸病院へ。
(1995/3/3)
《過去》へ遡行する
後は…《過去》へ遡行する
《1995年7月7日のノート》
七夕祭り。登戸病院へ。
(1995/7/7)
5月5日の子どもの日には、何も書いていないのだ。
3月11日水曜日: 死に到る方便
カテゴリ: 書斎で書くこと
アイヌについて、「記憶の中の現実も、できる限り、書き添えてみようと思う」と、そう宣言してから、もう20日も経ってしまった。
だが、それがどうしたというのか。いったい、こんなややこしい独り言を読んでいる人などいるわけないのだから、宣言を守ろうが破ろうが、どうということもないだろう。
ただ書くことによってのみ、なんとか自分を支えていた時期があった。狂うかも知れぬという恐怖に、書かなければ死を選ぶしかないと、思い込んでいたことがあった。そこから逃れるためにのみ書き続け、そしてどうにか現実の手前まで這い出してきていたのである。しかし、というか、だからというべきか、あの頃、「アイヌ」は未だ方便であった。そんな失礼な話は無い。
今、再び書かねばならぬ事態になって気づいている。現実は、未だ僕にとって、やはり何ものかのための方便なのではないか。「生」は、何か永遠なるものへ到る道程の、単なる方便にしか過ぎないのではないか、と。
「生」に対して、なんとも失礼な話である。
だが、それがどうしたというのか。いったい、こんなややこしい独り言を読んでいる人などいるわけないのだから、宣言を守ろうが破ろうが、どうということもないだろう。
ただ書くことによってのみ、なんとか自分を支えていた時期があった。狂うかも知れぬという恐怖に、書かなければ死を選ぶしかないと、思い込んでいたことがあった。そこから逃れるためにのみ書き続け、そしてどうにか現実の手前まで這い出してきていたのである。しかし、というか、だからというべきか、あの頃、「アイヌ」は未だ方便であった。そんな失礼な話は無い。
今、再び書かねばならぬ事態になって気づいている。現実は、未だ僕にとって、やはり何ものかのための方便なのではないか。「生」は、何か永遠なるものへ到る道程の、単なる方便にしか過ぎないのではないか、と。
「生」に対して、なんとも失礼な話である。
3月 5日木曜日: 啓蟄に顔を出した虫たち
カテゴリ: 書斎で書くこと
啓蟄である。
二十四節気(立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨・立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑・立秋・処暑・白露・秋分・寒露・霜降・立冬・小雪・大雪・冬至・小寒・大寒)の1つ、春分の手前、ちなみに春分の次が清明。沖縄では「しーみー」としてとても大切な節目だが、大和でそれを知っている者は殆どいない。
日本中啓蟄だが、北国の虫も、同じ頃に目覚めるのだろうか。
定額給付金とやらが日本で一番早く配られた津軽のちいさな村からのテレビ中継。まずは仏壇に供えて、文字通り拝むように有難がっているお年寄り。これで現政権の支持率が上がったりして、さあ総選挙だなんてことになるのだろうか。乞食根性を利用した政治といえば、お年寄りに失礼かもしれぬが、しかし、やはり日本とはこの程度の国なのだと、なんとも絶望的な気分になって、口汚い言葉を吐き出してみたくもなる。くれるというなら貰うしかないのだが、それに義理だてて一票を投じるのが日本の律儀な美徳だというようなはなしには虫唾が走る。
きっともう誰もが忘れていたであろう川崎の投げ捨て事件、無期懲役の判決が出たというニュース。
例えばである。再婚した夫婦がいたとして、3人の子どものうち、上2人の女の子は母親の連れ子、末の男の子が父親の連れ子で、姉たちと弟はとても仲が良かった。父親は、息子以上に娘たちに愛情を注いだ。血が繋がっていないからこそ、そうすべきなのだというような、ナイーブな優しさを持っていた。そんな父親がリストラされて、虫も殺せぬような性格、優しすぎるが故に鬱病を患い、やがて許されぬ犯罪を犯す。もちろん、擁護するつもりはない。その罪に対する量刑がどうだこうだというつもりもない。ただその息子が、「心配させてごめん」と友達にメールを送ったきり、血の繋がりを失った家族の元を離れて、以来行方を友達に知らせることもなく、たったひとり孤独にどこかで生きている。そんな僕の息子と同い年の少年がいるとしたら、僕はこみあげる涙を押さえきれないであろう。君に罪はないのだから、どうか幸せであってくれと願うだろう。
メリルリンチの役員報酬が33億円というのは、どう考えたって高過ぎる。これほどわかり易い話は、そうあるものじゃない。どうしても腹の虫がおさまらない。
啓蟄の「蟄」は、虫や蛇の冬ごもりのこと。つまり、啓蟄には、蛇もまたその顔を出し、弱き虫たちを食うのである。
二十四節気(立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨・立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑・立秋・処暑・白露・秋分・寒露・霜降・立冬・小雪・大雪・冬至・小寒・大寒)の1つ、春分の手前、ちなみに春分の次が清明。沖縄では「しーみー」としてとても大切な節目だが、大和でそれを知っている者は殆どいない。
日本中啓蟄だが、北国の虫も、同じ頃に目覚めるのだろうか。
定額給付金とやらが日本で一番早く配られた津軽のちいさな村からのテレビ中継。まずは仏壇に供えて、文字通り拝むように有難がっているお年寄り。これで現政権の支持率が上がったりして、さあ総選挙だなんてことになるのだろうか。乞食根性を利用した政治といえば、お年寄りに失礼かもしれぬが、しかし、やはり日本とはこの程度の国なのだと、なんとも絶望的な気分になって、口汚い言葉を吐き出してみたくもなる。くれるというなら貰うしかないのだが、それに義理だてて一票を投じるのが日本の律儀な美徳だというようなはなしには虫唾が走る。
きっともう誰もが忘れていたであろう川崎の投げ捨て事件、無期懲役の判決が出たというニュース。
例えばである。再婚した夫婦がいたとして、3人の子どものうち、上2人の女の子は母親の連れ子、末の男の子が父親の連れ子で、姉たちと弟はとても仲が良かった。父親は、息子以上に娘たちに愛情を注いだ。血が繋がっていないからこそ、そうすべきなのだというような、ナイーブな優しさを持っていた。そんな父親がリストラされて、虫も殺せぬような性格、優しすぎるが故に鬱病を患い、やがて許されぬ犯罪を犯す。もちろん、擁護するつもりはない。その罪に対する量刑がどうだこうだというつもりもない。ただその息子が、「心配させてごめん」と友達にメールを送ったきり、血の繋がりを失った家族の元を離れて、以来行方を友達に知らせることもなく、たったひとり孤独にどこかで生きている。そんな僕の息子と同い年の少年がいるとしたら、僕はこみあげる涙を押さえきれないであろう。君に罪はないのだから、どうか幸せであってくれと願うだろう。
メリルリンチの役員報酬が33億円というのは、どう考えたって高過ぎる。これほどわかり易い話は、そうあるものじゃない。どうしても腹の虫がおさまらない。
啓蟄の「蟄」は、虫や蛇の冬ごもりのこと。つまり、啓蟄には、蛇もまたその顔を出し、弱き虫たちを食うのである。