09/01/02 : 紺珠
カテゴリ: 書斎で書くこと
森鴎外の備忘録の表題に“紺珠”というの文字が記されている。
「かんじゅ」と読む。
「開元天宝遺事」によれば、手でなでると記憶がよみがえる紺色の宝珠。730年に没した中国唐代の政治家、張説が持っていたものだという。
今の時代、紺珠など持たなくても、何10年もの歳月を積み重ねた日記が、たとえばブログのようなテキストデータにでもなっていれば、検索機能なるものを使って、すぐに当時の言葉にたどり着くことが出来る。それどころではない。インターネットは、全世界の人々の記憶を、何の労もなく、自らのモノとすることができる。
人間の寿命が延びて、3世代が生活を共に出来るようになって、それから人間は劇的に進化したという説がある。つまり、オバアの知恵を子育てに役立てることができるようになったからなのだと。残念ながら狩りに疲れたオジイは、大概は孫を見ることなく死んでいったらしいのだが、ともかく、それ以来、人間の記憶は重層的になり、祖先の知恵の上に新たな知恵を積み重ねていくことが可能になった。
やがて、人間が文字を発明し書物というものが出現する。それまでは、増え続ける知識(先祖から受け継ぐ記憶)を格納するために、ひたすら脳を肥大化させてきた人間なのだが、書物という格納倉庫を脳の外部に持った時から、人間の脳は、その異常な成長過程を止めることができた。
果たして、インターネットという巨大記録装置は、いったい人類に何をもたらすのだろう。
だが、「記憶」の全範囲は、知識の範囲を遥かに超えている。
サイドバーにあるブログ内の言葉を探す「検索」機能を使って、「社長とは呼ばないで」の記事の中にある「紺珠」という言葉を検索してみた。そうしたら、ふたつみっつの記事がピックアップされて表示された。すると、それに伴って、いくつかの記憶が、僕の脳に蘇ってきた。ノートには書かれていない情景、オマケのようだが、みずみずしい「思い出」。至極当たり前のことをあらためて認識して、なんだか僕は安心した。
そういえば、昨年は忘年会をする余裕さえなかったっけ。
「かんじゅ」と読む。
「開元天宝遺事」によれば、手でなでると記憶がよみがえる紺色の宝珠。730年に没した中国唐代の政治家、張説が持っていたものだという。
今の時代、紺珠など持たなくても、何10年もの歳月を積み重ねた日記が、たとえばブログのようなテキストデータにでもなっていれば、検索機能なるものを使って、すぐに当時の言葉にたどり着くことが出来る。それどころではない。インターネットは、全世界の人々の記憶を、何の労もなく、自らのモノとすることができる。
人間の寿命が延びて、3世代が生活を共に出来るようになって、それから人間は劇的に進化したという説がある。つまり、オバアの知恵を子育てに役立てることができるようになったからなのだと。残念ながら狩りに疲れたオジイは、大概は孫を見ることなく死んでいったらしいのだが、ともかく、それ以来、人間の記憶は重層的になり、祖先の知恵の上に新たな知恵を積み重ねていくことが可能になった。
やがて、人間が文字を発明し書物というものが出現する。それまでは、増え続ける知識(先祖から受け継ぐ記憶)を格納するために、ひたすら脳を肥大化させてきた人間なのだが、書物という格納倉庫を脳の外部に持った時から、人間の脳は、その異常な成長過程を止めることができた。
果たして、インターネットという巨大記録装置は、いったい人類に何をもたらすのだろう。
だが、「記憶」の全範囲は、知識の範囲を遥かに超えている。
サイドバーにあるブログ内の言葉を探す「検索」機能を使って、「社長とは呼ばないで」の記事の中にある「紺珠」という言葉を検索してみた。そうしたら、ふたつみっつの記事がピックアップされて表示された。すると、それに伴って、いくつかの記憶が、僕の脳に蘇ってきた。ノートには書かれていない情景、オマケのようだが、みずみずしい「思い出」。至極当たり前のことをあらためて認識して、なんだか僕は安心した。
そういえば、昨年は忘年会をする余裕さえなかったっけ。