「今」は、とてつもない速度で過去へと埋没していく。たった今さっきまで「いま」であった生々しい「むかしのこと」を、何とか解釈したいと思うのだが、次から次へと現在が押し寄せてきて、どんどんと「過古たち」に手が届かなくなっていく。ならばその代わりに、「遠いむかし」の薄くなった「過古」を手っ取り早く取り繕って、昨日やおとといぐらいの「むかし」の喪失感の埋め草にしようとしている。

それが、「埋め草」の、ほんとうの意味らしい。

そして、使える埋め草を探すために、もう一度「過去のノート」を眺めてみた。すると、あまりに稚拙で一度は不採用と決めた過去の言葉なのだが、そいつらがなんだか妙に愛(いと)おしく感じてきた。

たぶんきっと、今の自分が、昔の自分を懐かしがっているのだと思うのだ。ひたすら孤独に考え続けていたあの頃の「過古たち」。
(2009/2/13)本当の日付