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カテゴリ: 書斎で書くこと
演技と同じように、朗読もまた、テキストに対する拒否反応を乗り越えるべきなのか。テキストの文章を自らの肉体に定着させなければならないものなのか。

朗読における「書かれた他人の文章」と「それを読む主体」との間に横たわる断層は、「戯曲」と「役者」のそれとは全く異質なものである。
演劇の場合、他人が書いた台詞を自分の言葉にしようとする時にまず拒否反応が起こるのであるが、だとすれば、朗読の拒否反応に演劇のような必然性はない。朗読が、単に文章を「読む」ことである限り、他人の言葉を自分の肉体に取り込んでまで別の人格に「なる」という必要はないからである。
つまり、拒否反応を乗り越えてテキストの文章を自らの肉体に定着させる朗読というものが存在していようがいまいが、朗読の形而上学においては関心のない問題である。朗読の本質は、ここにはない。

しかし、「拒否反応を乗り越えてテキストを自分の言葉にして語る朗読」というものについて、この序章において考察しておくのは、それなりに意味のあることのように思われる。

拒否反応を乗り越えることはそう簡単な作業でない。しかし、朗読を趣味とするオバサマたちは、その困難をどれほど理解しておられるのだろうか。気持ちよさそうに朗読するオバサマを見るにつけ、そう思うのである。
台詞が自分の言葉となっていない役者の演技など見たくはない。逆に、オバサマたちには申し訳ないのだが、演者が自ら読んで声に出した言葉が、自分の肉体から出たものだと能天気に信じている朗読など、もっと聞きたくない。そうした朗読は往々にして陳腐である。

そうなる原因のひとつは、自分の能力では消化しきれないテキストなのに、それでも自らの血管に取り込むことができると思う甘い考えにある。五合枡に一升の酒を注ぐことは不可能である。許容量が足りないのに、無理に詰め込もうとすれば、テキストを矮小化する以外にない。朗読が陳腐となる原因の多くはそれである。

作家の言葉が自分の血に流れ込んできて気持ちよく語れたと思ったら、それは勘違いではないかと、まず疑ってみた方がよい。作家が偉大であれば、その拒絶反応は激しく、一生一作品と格闘しても、自分の血となることはまずないと断言する。どうやら朗読する演者の多くは、都合よく作家の血を薄めてしまったことに気づかないらしい。
勘違いした朗読を聞かされて、テキストの世界から断絶させられてしまった観客は、たまったものではない。こうした朗読の氾濫は、本来朗読に関心を持ってくれるはずの、原典を重視する観客を、朗読が行われる会場から遠ざけることになるだろう。それは不幸である。

さらに別の例を挙げてみる。
僕は、宮沢賢治のテキストを題材にして音楽家と共演している。宮沢賢治を原文のまま読む。しかし我々は、宮沢賢治のテキストは自分たちの世界を表出するための単なる素材でしかないと宣言している。この作品で表現したいものは「宮澤賢治」ではなく、我々が創造した新たな世界なのだ。つまり、「本から一歩も出ない」という形而上学的朗読の戒律を初めから破っている。それはもう「朗読」とは違うものであるし、そして我々の公演に訪れる観客も、「朗読」を聞きに来るわけではない。我々の表現は、朗読の形而上的考察の対象から逸脱している。この場合のテキストと演者の関係を、ここでは敢えて恣意的であるとする。

要するに、我々は「宮沢賢治」から開放されているのである。そのことによって、逆説的に聞こえるかもしれないが、演者がテキストを自らの言葉にして語ることも可能となる。
我々が伝えようとしているものは宮沢賢治ではない。語られる言葉は賢治の創作した言葉であるが、我々にとって、それが賢治の声である必要は無い。我々は賢治のテキストを借りて、自らの声を伝えているのである。たとえ原作者賢治が、悲しみを伝えるために紡ぎだした言葉だとしても、我々はその言葉に最大限の喜びを被せて叫んでもかまわないのである。
そのようにして創作された我々の表現が、はたして「陳腐」から逃れられているのかどうかの判断は観客に委ねるしかないし、また、具体的事例の美学的批評は形而上学の範疇ではない。ただ、我々の表現は、宮沢賢治との関係で判断されるものではなく、ただその独自性において批判されるべきものであるということが、論理的な解である。
(ただ、これもあくまで「恣意的」な選択である。このことについては、後に述べることにしよう。)

しかし、朗読はそうではない。朗読が朗読である限り、常に原典との関係において批評される宿命を背負っているのだ。BGMや気の利いた映像などによっていくら補足してみても、朗読そのものの出来不出来に影響を与えるものではない。
確かに、どれほど朗読が陳腐であっても、テキストそのものの存在が朗読の技術を越えて余りあるほどに強かったり、流される音楽が極めて優れていたりすることによって、高い価値を有する朗読的作品もあるだろう。しかし、当然ながらそれは朗読そのものとは無関係である。そこを切り分けて考察することが、「形而上学」たる所以である。

さらに。
演劇の世界にリーディングという表現形態がある。本来、暗記して語られるべき戯曲の台詞を、台本を持って読むのである。結果、演者は朗読とかなり近しい作業をすることになるのだが、しかしリーディングは、朗読とは似て非なるものである。 なぜなら、リーディングで読むのは、もともと役者がしゃべることを目的にして書かれた台詞であって、自分自身の言葉に消化して読むか否かは、できるかどうかの可能性の問題ではなく、どれだけ演劇的な完成に近づけるかという演出方針に全てかかっている。従ってここでの演者とテキストの関係も、やはり「恣意的」な事例となる。

さて、「テキストを自分の言葉にする」という演劇における基本的な作業が、朗読ではかなり困難らしいのはいったい何故なのか。その理由は、原典との関係性において説明がつくように思われる。演劇の場合、原典(つまり戯曲)は、最終的には観客の目から消え去らなければならないものである。台詞を自分の言葉にしていない俳優がいると、そこから戯曲が透けて見えてくる。それは演劇的には瑕(きず)でしかない。ここに、「テキストを自分の言葉にする朗読」の困難さの鍵がある。朗読は、演劇とは逆に、原典のテキストが見えるべきものなのだから、テキストを自分の言葉にすることで原典を消してしまってはならないのだ。テキストを自分の言葉にして唯一許されるのは、作者の言葉と演者の言葉がピッタリと重なる場合のみであるが、その実現は限りなく不可能に近い。

テキストと演者との断層は、演劇の場合は同一になろうとする過程において強烈な拒否反応として現われ、それはやがて克服されなければならない。しかし朗読における断層は、今まで述べてきたように、同一になることのないテキスト(作者)と自分(読み手)との人格的差異である。同一になる必要が無ければ、強烈な拒否反応などは起こることはない。しかしこの差異は、微妙な違和感として消えることはない。
演じることにおいて、拒絶反応はその出発点であった。しかし、朗読において、この違和感は、出発点ではなくひとつの到達点なのである。

そろそろ「序章」を切り上げよう。
本編では、元来声に出して読まれることを想定せずに創作されたテキストを、音だけで如何に観客に伝えるのか、その方法論について考えてみようと思っている。
まずは日本語における書き言葉と話し言葉の差異について。

しかし、その日本の常識を覆す天才バカボンのパパ。書き言葉で話すバカボンパパ。
「パパは何者なのだ?」
「それでいいのだ」

朗読の形而上学の本編へ続く。



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さて、「作者の意図をはずれない」、「本から一歩も出ない」という朗読を考えていく前に、ちょっと役者の話をしたい。

すまけい という名優が語った言葉。
台本を貰ってセリフを読む。他人の言葉は、臓器移植をした時のように、彼の中で拒絶反応を起こす。他人様の書いた言葉なのだから、拒否反応が起こるのがあたりまえ、むしろ拒否反応が起きない方がおかしいというのだ。それを克服し、他者のセリフが肉体に定着した時、初めて舞台に立てるのだ、つまり、台本の言葉を真に自分のものにすること、それが役者の作業であると。
これは、拒絶反応を起こさない安易な役者が多すぎることへの苦言でもある。

でも、これは役者の事情であって、はたして朗読にも当てはまることなのだろうか。「朗読の形而上学」で考えたいのはここのところである。
朗読でも拒否反応は避けがたい。ただ役者ほど切実に感じることはない。だからこそ、朗読する者には、微かな拒否反応も見逃さない鋭敏なアンテナが、役者よりもずっと必要なのかもしれない。そしてその拒否反応をどう扱うのか、ここからが問題なのである。役者は乗り越えるが、はたして朗読はどうなのだろうか。

言葉は、その性質上、あくまでも「道具」であり、それ自体が目的には成り難い。文体というものがあるにしても、それは「内容にとって」という但し書きがいつでもつきまとう。
朗読は、さらにその言葉の下僕である。テキストという具体的な言葉を抜きにして、朗読を語ることは、本来はできないはずなのである。あくまでも朗読は、テキストとの関係においてのみ論じられるべきものなのだ。
だが、それを言うならば演劇も同じことではないか。演技は、戯曲の世界を具現化するための「道具」にしか過ぎず、戯曲から離れて演技の良し悪しを語ることは虚しい議論ではないのか。
しかし、多分これは間違っている。演劇で語られる言葉は、初めから語られることを想定して構築された言葉なのであり、演劇台本の中には、特定の役者を生かすためだけに書かれるものもあるくらいなのである。時に台本は、役者の下僕である。そうではないにしても、芝居の台本は、役者の言葉とならなければ、その存在価値はない。
ところが、朗読のテキストはそうではない。その多くは、最初から文章だけで完結することを前提として創造されたテキストである。だからこそ「作者の意図をはずれない」とか、「本から一歩も出ない」というような金言が、演劇より遥かに重要事として顔を出してくるのだ。
「朗読」が、表現の世界で確固たる地位を得るためには、この問題を一度徹底的に考えてみる必要がある。

従って、この「朗読の形而上学」は、「作者の意図をはずれない」、「本から一歩も出ない」ということを100%受け入れるところから始めなければならないのである。そしてその上で、「作者の意図をはずれない」、「本から一歩も出ない」という朗読を、完璧に実現するとは、いったいどういうことなのかを、敢えて厳密に思考するのである。オバサマ方の井戸端会議的な感覚的論理は、決してあってはならない。
そのために、ここでは「言葉」からは具体的な要素の全てが排除され、その結果「言葉」という概念は、「質量」のない単なる「形式」として扱われることになる。

ここでひとつ押さえておかなけらばならないことがある。
「本から一歩も出ない」ような朗読のどこがおもしろいのかという議論。それに対して、「だってこんなことが…」というようなオバサマ的発言には、一切耳を閉ざすことである。これを許すと論理とはいえない感覚的な議論に落ち込み、マンマとオバサマの思う壺、これより先へは進めなくなる。だからここでは、「本から一歩も出ない」ような朗読は、全く価値がないということを、甘んじて受け入れた上で論を進めたいと思う。というより、「本から一歩も出ない」朗読に価値があるかないかを、ここで問題にする必要はないのである。

そこで、あらためて問う。「作者の意図をはずれない」、「本から一歩も出ない」朗読は、テキストに対する拒否反応を乗り越えるべきものなのだろうか。



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今日、いわゆる朗読会なるものに出て、短編を読んだ。そのことに特段の思いがあるわけでもなく、むしろ朗読というものが何だかよく分からないから、どうも落ち着かない。失礼な話だと思いながらも、前日までろくに原稿を読むこともしなかった。どうやら他の出演者の方々は、きちんと読み込んでいらっしゃるらしいのだが、僕は朗読の正しいあり方というものがさっぱりわからないので、読み込むことに全く意味を見出せない。というより、いくら読み込んでみたところで、どちらへ向いて歩き出せばいいのか分からないのだから、読み込む作業は、ただ単に流暢に読むためという効果しかない。流暢に読むだけなら、商売柄半日あれば十分だ。それに、朗読は流暢であるほうがいいというわけでもあるまい。むしろ、読む作品と読み手の新鮮な出会いというシチュエーションを如何に作り出すか、そのほうがずっと効果がありそうな気がして、それなら流暢でないほうがよっぽどいい。

それにしても、プロとして、たった一人でお客様の前に立つということが、今まであったかなと思い出してみた。スタジオ録音や、たとえ舞台でも、司会や映画の弁士のような仕事を除外すると、あの頃を最後にして、以来そういう仕事を全くしていないことに気が付いた。

1983年4月。僕は小金井芦州の独演会の前座として、数日間上野本牧亭の昼席の高座に上がった。前座から観る客など殆どいない。畳敷きの客席には数人の常連。中央に寝そべるたった一人の他は、みな脇の壁にもたれて足を投げ出している。座敷の後ろには下足に続く板の間があって、その中央に、もう何十年も講談の高座を見続けてきた売店の名物おばちゃんが、売り場を離れて腕組みして立っていた。
気の利いた枕を語ることなど芦州が許してくれるはずもない。ひとこと「勉強させていただきます」と頭を下げて、目の前に置かれた講談本を読み始める。
「頃は元亀三年壬申年十月の十四日、甲陽の大僧正信玄、甲府において七重のならしを整え…」
三方ヶ原の物見、いわゆる修羅場である。
考えてみれば、その時だって何のために高座に上がっているのか分かっていたわけではない。

ただ役者の修行のためと劇団から金を出してもらって芦州に講談を教わりにいったのだが、何故か気に入られて三日で芦晃という立派な名前を頂いた。以来、芦州は劇団から金など取らなかった。どこへでも僕を連れて歩いたが、いつも僕の都合を優先してくれた。
稽古は昼前と決まっていた。赤羽の愛人の家の二階を使った。家の主はいつも留守だったので会ったことはないが、どこかの高校の教頭だと誰かから聞いた覚えがある。芦州の本宅は都営だか公団だかの古いアパートだった。早稲田に受かった息子に、金がないからと進学を断念させたという話も聞いた。愛人の家は立派であった。

まず、芦州が見本を語ってくれた。さあ今度はお前だと横になる。僕が語り始めると、間もなく芦州は二日酔いの酒臭い息で鼾をかき始める。僕が語り終えると、途端に目を開けて、もう一回とだけ言って、また高いびきである。

稽古が終ると、浅草へ向かった。昼飯は大概蕎麦である。一枚は野暮、だから二枚づつ頼む。卵焼きを肴に酒を飲む芦州は一枚の蕎麦さえ食べきれない。僕は昼から酒を飲まされ、蕎麦を三枚食わねばならない。
名前を貰ったといっても、着物さえまともにたためないのだから、前座など務まるわけがない。芦州の高座が終るまで、僕は浅草をうろついた。ここで待っていろと言われたスナックで、フランス座の支配人に会った。その時、よほど人がいなかったのか、うちでやらないかと誘われた。

夜は御贔屓さんとの会食に付き合わされた。御贔屓さんがタバコをくわえる瞬間を見逃さず、そのタバコに火をつけるのが僕の仕事であった。名前しか書いていない名刺をよく貰った。

そんな生活がストレスだったのか、芝居の旅先で僕は血を吐いた。そこから東京の病院に直行し、そのままひと月入院した。真っ先に見舞いに来てくれたのは芦州であった。

ある日、稽古に行ったら、渋い着物が置いてあった。
「お前にやる。今度、俺の独演会で、前座をやれ」
独演会なら、着物がたためなくても他の師匠方に迷惑掛けることなく使うことができる。それでもその日、くれた着物を使って、芦州はたたみ方を教えてくれた。

芦州が独演会で最後の演目を終える頃には、楽屋はすでに夜席の出番の早い落語家さんたちで賑やかだ。いよいよ幕が降り始めると、ひとりの落語家さんの声がした。
「おいおい、おん出しの太鼓も叩けねえのかよ」
そういって長バチを持って太鼓をたたき出した。
「ありがとうございます!ありがとうございます!」
僕はただ居心地悪く眺めていただけだ。芦州は、そんな情けない前座にも、ワリをくれた。

帰り際、売店のおばちゃんに呼び止められた。
「久しぶりに、いい修羅場を聞かせてもらったよ」
涙が出てきた。

それからどのくらいたったのか。あんまり昔のことなのでよく覚えてはいないのだが、芦州と若手売出し中の講談師と、三人でどこかのスナックで酒を飲んでいた。酔いが進むうちに、若い講談師が、僕に絡みだした。お前はどうするつもりなんだ。ちゃんと講談をやっていくつもりなのか。僕は、講談を仕事にするつもりはない、あくまでも役者の修行だと正直に答えた。それは、普段から芦州とも話していることだった。しかし、いつも饒舌な芦州が、その時は、ただ黙って聞いていたのだ。僕はその日、芦州の元を去ることに決めた。

その後、どこかの現場で、ある講談師の方と一緒になったことがある。
「あれからどうした、おやじさんに詫び入れたのか。行ってやんなよ。喜ぶから」
僕は曖昧な返事をした。

体を悪くして、講談協会の会長を辞したという噂を聞いて、ものすごく会いたいと思ったが、結局、一度も芦州と会うことはなかった。

今日、朗読会から戻って、僕は、書斎の押入れのダンボールの中から、28年前、芦州の独演会で使ったガリ版刷の講談本を引っ張り出した。稽古を重ねて、何度も何度も読み返した数枚の紙切れ。あの頃の思い出が鮮やかに蘇ってきて、真夜中だというのに、つい、声を出して読んでみた。

もしかしたら、若き日に教わったこの修羅場を、今日のような小さい朗読会でなら、再び語ることを、あの世の芦州も、きっと許してくれるのではないか、そう思ったのであるが、やはりそれも、失礼は話なのだろうか。

(今日の短編、読み込んでおけば違う何かが見えてきたのだろうと、いまさらながら反省もしているが、あの頃のように時間が取れればいいけれど、暇無く中途半端になるのなら、やっぱり新鮮なほうがいい。これも、お客様に対するひとつの責任の取り方なのだとも思っている。来月の朗読会も、修羅場を語るわけにはいかないのだから、「新鮮」という、奥の手でいくしかなさそうだ。)

《追伸》
ほんとは、講談では「師匠」とは言わない。「先生」と呼ぶ。それについては、またいつか書こう。でもいきなり「先生」と書いたのじゃあ、知らない人は妙な感じがするのではないか。そんな気がして、あえて「師匠」にしておいた。

カテゴリ: 書斎で書くこと
今、密かな朗読ブームらしい。カルチャーセンターにもちょこちょこと朗読教室なるものが現れてきた。僕の親戚のおばちゃんも、何をとっちらかったのか、「お茶」をやめて朗読教室に通おうかしらなどと言い出した。お金がかからないというのがその理由。声を出すから健康にもいい。編み物が流行ろうが、絵手紙に人気が出ようが、いっこうに関係ないが、小さな朗読会があちこちで開かれるに到って、喋ることを生業にしてきた僕としては、この朗読ブームはいったいどういうことか、ちょいと気になってきた。

だからというわけではないのだが、僕は、ある場所で、こんな問いかけをしてみた。

 日本には話芸がたくさんあります。
 落語・講談・浪曲・浄瑠璃、活動写真の弁士とか説教節やごぜ歌など。
 それらと「朗読」と、いったい何が違うのでしょうか。

この僕の問いかけに、ある人が答えてくれた。

 文章や文字を目でみることを前提として表現されたものを、声にする。 
 ここが、落語、浪曲などとは決定的に違うところ。
 だから、作者の意図するところをはずれてはいけない。

なるほど、しかし「作者の意図するところ」に触れたいならば、原作を読むのが一番、それなのに、それをわざわざ「朗読」するのは、いったいどうしてなのか。
どう考えても、作品を朗読することによって、「作者の意図するところ」に付け加わる何ものか(+α)を期待しているに違いなく、お客さんは、《「作者の意図するところ」+α》の総体を聴かされているはずなのである。

にも関わらず、「朗読は本から一歩も出てはいけないのです」と、まことしやかに語る朗読界の大御所のオバサマたちがいるらしい。そういうオバサマ方は、お客さんが「朗読会」に求めているものをいったい何だとお考えなのだろうか。

“作品を忠実に再現する(だけの)朗読の価値”について、最初のある人とは別の、あるオバサマが語ってくてた。

 知らない作品と出会いたい人のために
 自分で読むのは好きじゃない人のために
 想像力・理解力・音感が足りない人のために

僕は考えてみた。まず、「知らない作品との出会いたい」について。
わからないでもないが、これでは書籍の販促活動と区別ない。知らない作品に出会うためだけに朗読会へ足を運ぶ人がいるとは考えられない。それなら書店に行って背表紙を眺めていれば済むこと。書評、電車の中吊り、なんでもある。情報が多くて何を選べばいいのかわからないというならば、信頼できる友人にでも聞けばいい。たとえ「知らない作品に出会えてよかった」という人がいるとしても、これはあくまでも「おまけ」としか思えない。朗読会を、文学的サロンの集まりのように使われているのなら別だが、しかしそれは朗読の楽しみではなく、サロンの楽しみである。

お次の「自分で読むのは好きじゃない」、ということは、読んでくれるなら誰でもいいということなのか。「自分で読むのは好きじゃないが聞けるなら聞きたい」ということは、要するに「読みたいけれど読めない」ということだ。今はね、テキストデータと音声変換ソフトがあれば、読まずに聞くことが出来ますよとお教えしたいのだが、しかしそんなことを言おうものなら、「私たちの朗読と、視覚障害者への朗読を一緒してはいけません」なんてことになる。ということは、やっぱり作品を忠実に再現しているだけではなく、別の要素があるということでしょう。
(ちなみにある視覚障碍者のお話をご紹介したいと思う。その方は、通常、雑誌の記事などは、テキストを音声データに変換して8倍速で聞いているという。いわゆる斜め読みならぬ斜め聞き。一般の人には全く不可能な神業。そしてきちんと読みたい(?)場合は3倍速。さらに小説など、雰囲気を楽しみたい場合は2倍速で聞く。
つまり、音声の送り側が雰囲気を付け加えなくても、聞き手の頭の中で、世界は奔放に作られるということを、オバサマ方に伝えたいのだ。シンプルな朗読などというけれど、テキストから機械的に変換された音声データほどシンプルなものはない。オバサマたちは「本から一歩も出てはいけない」といいながら「視覚障害者への朗読と一緒にするな」ともおっしゃる。なにか勘違いされてはいませんか?)

さて、どうやら厄介なのが最後の「想像力・理解力・音感が足りない人のために」ということ。つまり、本来、優秀な読者ならば黙読していても沸きあがってくるものを、読書力のない方々は感じることが出来ないのだから、それを朗読によって補ってやるのだという理屈。
確かにこれならば「本から一歩も出てはいけない」という戒めを破る事もない。
(とはいえ、読書力のない方々のためだけに朗読があるというのはなんともお客様に失礼な話ではあるが。)
しかし、ならばどうして、同じものを読んでも、読む人によってまったく違うものになるのか。「人それぞれ声が違うのだから当たり前でしょう」というオバサンの御意見が聞こえてきそうではある。この「声」のことは重要なので後で触れるけれど、今ここでそれを持ち出しては今までの論理の展開が全てズレてしまうのでいったん無視させていただくとして、さらに表現力という最も重要な問題をも棚に上げて、さてそうすると、残された要素は、どうやら読み手によって作品に対する理解が違うからこそ音が違ってくるのだとしかいえないのである。(何度でもいうが、オバサマ方が、理解をそのまま表出できるだけの表現力をお持ちであるということを前提とした上での論理的な話である。)
では、そういう「個性」と、「本から一歩も出ていない」という戒律との間に、オバサマ方はどのような整合性をおとりになるおつもりなのだろうか。

どうやら、「作者の意図するところをはずれない」とか、「本から一歩も出ていない」とか「シンプルな朗読」とか、分かりやすそうで実際ちっとも分かりやすくないものを、もっともっと考えて見る必要がありそうである。

趣味で楽しんでいるオバサマたちに喧嘩を売るつもりは全くないのだが、あまりに根の浅いことを、さも分かったように語られる向きもあり、ちょっと冷や水をふりかけてみたくなったのである。他意はない。

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今日、沖縄から戻ってきた。
「ほんとのこと」について考えている。

「ほんとうのことを言おうか」
誰かの詩の一節だったと記憶している。本当のことを言ったわけではない。「ほんとうのことを言おうか」と言ってみただけのことだ。それでも詩になる。ほんとうのことをほんとうに言ってしまえば、消えてなくなってしまうかもしれぬ恐怖。ほんとうのことを言うとは、それほどにも覚悟のいることらしい。

沖縄へ出発する前の日、ある朗読会を観に行った。
朗読を聞くことに全く興味などなかったが、オーディオブックなる事業を始めたので、最近時々耳にする「朗読会」というものを、後学のために覗いてみるのもいいだろうと考えたのである。

元来、書物は読んで聞かせるようには書かれていない。はたして、朗読する人は、そうした書物を朗読するということを、どのように考えているのだろう。その困難を乗り越えてなお朗読しようとする動機は何なのだろう。ただ朗読するという行為だけが見える。きっと、書物にはあるだろう「ほんとうのこと」が、僕の耳にはいっこうに届いてこない。

最後にパオ・ニンの「戦争の悲しみ」の抜粋が朗読された。東西のイデオロギーとは関係なく、初めてベトナム戦争の真実を描いた作品として、最近評判になった本である。しかし、その真実を歪めて翻訳したとか、いつもの左翼と保守の間に起こる喧噪に巻き込まれている本でもある。いずれにしろ、パオ・ニン氏にとっては迷惑な話だ。朗読者はそれを知っているのかどうか、私には関係ない、それを見せないのが朗読ですとスマシテいる。圧倒的に上等な朗読ならまだしも、できることなら読んで欲しくはなかった。あの朗読に感動したと思われたくないから、本を買うことをやめた。朗読そのものは、もう記憶にない。だが、その朗読に先駆けて、ゲストとして招かれた訳者が語った話だけは、今も頭に残っている。
「ベトナム戦争で使われた弾薬の数は、第二次世界大戦において全世界で使用された弾薬の2倍に当たる」
衝撃的な話である。ベトナムに撃ち込まれた弾薬の多くは、沖縄の基地を飛び立った戦闘機や爆撃機がベトナムの地に持ち込んだものである。沖縄への米軍の爆撃を、鉄の暴風などど形容するが、ベトナムの規模は、それと較べようも無い。ベトナムへの最前線の基地が、あの「鉄の暴風」を経験したこの沖縄にあった、そしてその基地が、今もって沖縄にあり続けているという事実、この人間の愚かしさを許している厚顔無恥な者は、いったいどこに隠れているのか。

例えば「ヒロシマ」を伝えるために、吉永小百合は、ノーギャラでも朗読会を開く。吉永小百合の朗読の技術は窺い知れぬが、それを云々する者はいないだろう。重要なのは「ヒロシマ」である。
一方、著作権切れの文学作品を読む朗読会なるものを開く人々は、伝えたい作品を読むのではなく、朗読するための素材を選んでいるように見える。彼らは、何を伝えたいのだろう。伝えたいものがない限り、切実に技術を磨こうとすることなどあり得ない。芸術至上主義などというが、それは政治的イデオロギー喧伝の手段としないというに過ぎぬ。ゴッホは自分の美的才能を披歴したかったのではない。ひまわりの狂気を、伝えたかったのである。ゴッホの才能は、ゴッホの手段である。

僕は、改めて沖縄をオーディオブックにすることに確信を得た。「沖縄」を伝えるためにこそ語る。だが安易に語っては、逆に人々を「沖縄」から遠ざける。だから、ほんとうのプロにならねばならないのである。

沖縄で考えた「ほんとうのこと」については、また後日。



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