09/03/31 : 僕は白でありたいと思っていますが…
カテゴリ: 書斎で書くこと
最近、ナショナリズム的なことについて書くことが多くなっている。「ナショナリズム的」とは、我ながら気持ちの悪い言葉遣いだが、「ナショナリズム」という概念が、なかなか規定しがたいので致し方ない。
政治と国家と文化と、個性と個人と、それらがオリンピックのマークのように重なり絡み合って、そしてさらに、それらの全てに、それぞれ「かくありたい」と「かくあるべき」というものが、個人的に存在するものだから、すっかりお手上げなのである。
「個性」と、「かくありたい自分」のふたつについてだけ語っていても、僕の場合は出口のない迷宮に嵌まり込みそうなのに、それに「べき」とか、さらには「全体」などというものが加わってしまったら、もうどうにもならない。それがわかっていながら、そのどうにもならないものに捉えられてしまっている。
そうすると、「白黒はっきりさせろ的」な話になる。たとえば、僕は極めて白に近いのに、黒も判るなんて言おうものなら、途端に限りなく黒っぽい考えの持ち主に見えてくる。そう見られるのが嫌ならば、徹底的に白だと言い続けなければならない。そうやって、黒とは決して通じ得ない「白」という「党派」が出来上がる。そのほうが、仲間ができて、安心なのである。
明日は4月1日。嘘と「文化」にまつわる極めて軽い過去の日記を公開する。
政治と国家と文化と、個性と個人と、それらがオリンピックのマークのように重なり絡み合って、そしてさらに、それらの全てに、それぞれ「かくありたい」と「かくあるべき」というものが、個人的に存在するものだから、すっかりお手上げなのである。
「個性」と、「かくありたい自分」のふたつについてだけ語っていても、僕の場合は出口のない迷宮に嵌まり込みそうなのに、それに「べき」とか、さらには「全体」などというものが加わってしまったら、もうどうにもならない。それがわかっていながら、そのどうにもならないものに捉えられてしまっている。
そうすると、「白黒はっきりさせろ的」な話になる。たとえば、僕は極めて白に近いのに、黒も判るなんて言おうものなら、途端に限りなく黒っぽい考えの持ち主に見えてくる。そう見られるのが嫌ならば、徹底的に白だと言い続けなければならない。そうやって、黒とは決して通じ得ない「白」という「党派」が出来上がる。そのほうが、仲間ができて、安心なのである。
明日は4月1日。嘘と「文化」にまつわる極めて軽い過去の日記を公開する。