言葉というようなものを考えていると、やはりこの僕もがんじがらめなのであって、どうしようもなく逃れがたく、宇宙人になりたいなどという叫びは、途方も無く虚しい戯言だと思わされる。

人がより現実的であればあるほど、リアルに現状を語れる人であればあるほど、得体の知れない宇宙人と交わす言葉など持ち合わせてはいない。結局、孤独で哀しき宇宙人は、誰かと話すために、いたしかたなく仮面を被る。言葉だとか文化だとか、そういうことどもについて語り合おうとすれば、いったい僕はどんな仮面を用意しなければならないのか、答えは判然としている。どんなに嫌悪していようとも、僕が使える言葉は「日本語」でしかあり得ないのだし、ましてや日本以外に住んだこともないわけで、僕の目の前には、「日本人」とか、「大和民族」とかいった仮面しか準備されていないのである。せめて「江戸っ子」くらいの仮面はないものかときょろきょろしてみるが、世田谷あたりで生まれた田舎もんのくせしやがって、大概にしやがれと笑われる。

かつて自分を宇宙人であると信じて疑わず、まるで神のごとく地上の沖縄と大和の争いを眺めていたころに、せっせとノートに書き写していたもののうち、極々一部を、ここに転記してみる。
(しばらくは新たな埋め草として、この手も使って、はやく現実に追いつこうと思っている。二週間遅れぐらいが、きっとちょうどいい。)

オボツ・カグラのことばかり…

「我々が天神地祗の名をもって神々を総称するところを、沖縄の方では天神海神と呼んでいる。或いはまたオボツカグラの君真物(キンマモン)が天神であるに対して、儀来河内すなわちニライカナイの君真物を海神だというのも、しばしば引用される箇条であった」
「オボツカグラの天中心思想はおくれて入ってきて、ニルヤカナヤの信仰を押除けるに足らなかった」
「天を根源とすることは言わば理論であって、道路もなく方角も定かならず、まぼろしの拠りどころというものが無い」
(「海神宮考」柳田国男)

「地方民間に伝承されていたウムイが、中央的に再生産されたものがオモロである。
ウムイを母胎にして中央的に変容していったものがオモロである。
中央首里王府の権力がいろんな側面から強化されていくにつれ、宗教的支配機構の中にくみこまれた神唄も、中央的な権威づけを必要としてオモロと特称されたのであろう。ウムイ(umui)という呼び方が沖縄的であるのに比べ、おもろ(omoro)という表記法や発音が大和的であるということや、ウムイの謡い方が沖縄固有の謡い方であるらしいのに比べ、オモロの謡い方には仏教声明風のものがつけ加えられ、ある種の文化的匂いと特権意識をともなっていることなどから、そのことを推測することができる」
「ウムイにまつわる神々が、ニライカナイ(海の彼方の楽土)からやってくる、いわゆる水平神的性格を持っているのに比べ、オモロの神々はオボツカグラ(天上世界)から降臨する垂直神的性格を持っているということである。(中略)オモロと連れ立つ形での垂直信仰が首里王府を中心の地で強調されているのに比べ、ウムイと連れ立つ水平的信仰は、僻遠の島々村々に伝承されている普遍的な神観念であり、しかもそのほうの神観念こそが、南島におけるもっとも古い型の神観念であろうということである。
(「南島歌謡の系譜」外間守善)

「日本の創世神話と沖縄の創世神話とをかさねあわして見るとき、どのようなちがいがあらわれるのか? それは、沖縄に、日神崇拝、国王の日子思想というものが確立されて、地上の権力である国王と天上をむすぶ垂直構造ができあがりながら、しかもそれは、より古い型の信仰である、ニライ・カナイの神々を拒否しなかった、という一点にあるであろうと思います。外間氏によれば、ニライ・カナイという水平軸の向うにあるところから、海の向うからやってくるセヂ(霊力)は、天上から降りてくるセヂより有力だとする考え方も、なお「残照」していたというのです。
(中略)
われわれの絶対天皇制的世界観には、それに矛盾せずに入ってくる、あるいは、それよりも強くありさえする水平構造は共存しません。
(中略)
天皇制体系に、それより強力なセヂをおくってくる横の軸の、水平線上のニライ・カナイなどはなかった。横の方向、海の向うの国? それは侵略征服する対象でしかありませんでした」
(「言葉によって」大江健三郎)

「(前略)現在、この語(オボツ・カグラ)は沖縄から消えているが、奄美では生きており、<オボツ山>と呼ばれる御嶽が散見される。オボツ山は山上にあるものと、村内平地にあるものに二分される。(中略)これらにおいては、海のかなたのニライ・カナイから水平的に飛来滞留して村を訪れ、船で帰っていくと考えられている。(中略)『中山世鑑』には<ヲボツカグラノ神ト申スハ、天神也>、また『混効験集』には<天上のことをいふ>とあって、従来からオボツ・カグラとは<天上の神の居所>と理解されているが、奄美の例からして、必ずしも<天上>とは限定できず、たんに<神の居所>と解釈した方がよいよ思われる」
(『沖縄大百科事典』「オボツ・カグラ」仲松弥秀)