6月17日火曜日: 沖縄への手紙
カテゴリ: 沖縄の、こと
拝啓
沖縄では、大変お世話になりました。色々とお骨折りくださり、どのような感謝の言葉を申し上げればよいのか、ほんとうにありがとうございました。お礼のお手紙、今日までお送りできませんでしたことも、心よりお詫びいたします。
少し語りすぎたと反省しているのです。黙っていれば通り過ぎてしまえたものを、語ったばかりに、却っておおきな空洞を置いてきてしまったようで、それをどう説明して埋めればよいのかと、ずっと考えていたのです。
僕は、貴方様と沖縄でご一緒させていただきながら、実は、ある光景を思い出しておりました。
もう何年になるのでしょうか、義理の父親が他界し、その葬儀に出席した折のこと、僕は、ただ故人の長女の連れ合いであるという理由だけで、遺族の中心にいなければなりませんでした。その反対側には、義父の生まれ島から駆け付けた、たくさんの方々が並んでいらっしゃいました。
その光景。
正直に言います。僕は、その光景の「風貌」に、圧倒されていました。
ああこの僕は、ここでただひとり、異質な存在として、無言のうちにはじかれている、と、強烈に感じたのです。
空の青は異様に深く、仏桑花の色は、限りなく黒に近い赤でした。隣の妻も、その時は全く見知らぬ他人だったのです。
その光景。
もし貴方様が島の方であったなら、そんな光景を思い出すことなどなかっただろうと思うのです。しかし、僕は、貴方の中に、自分と同じ「沖縄でないもの」を見つけました。すると、あの忘れていた光景が、蘇ってきたのです。
一度分裂した精神は、二度と元に戻ることはないと、何かで読んだ記憶があるのです。これって、誤解を招く表現ですね。分裂症は治らないというような意味に受け止められては困る。全くそうではありません。僕は、この言葉をこう理解した。一度名づけられたものは、その名前から逃れることができないというふうに。名づけるという行為は、そのものを他のものから区別することにほかならない、つまり、そのものは「他」から分裂させられるということなのです。
分かりにくくてごめんなさい。うまく伝えられない、いつものことです。貴方様が、僕のブログを読んでいるなんておっしゃるものだから、そんな人などいるわけないと思っていたものだから、しかし、僕の言葉は、ほんとに貴方様に届いているのでしょうか。
自分の名前を、忘れることはできるのです。僕は、あの光景を、忘れていたのです。
貴方様にお預けした、山猫合奏団の企画書ですが、僕はそれにこう書きました。
「未だ名前のないわれわれのジャンルに、新たな名前を与えてください」
大嘘なのです。名前を頂くことは、できればずっと御遠慮申し上げたい。永遠に母体の子宮のなかで眠る胎児でいたいのです。しかし、人間は生まれなければならないし、生まれたものは、名づけられなければならないのです。
僕は、たくらんでいます。このブログとやらを使って、引き裂かれた自己を、引き裂かれた世界につなげてみようとしているのです。
僕は、過去の僕自身の叫びに、耳を傾けます。そんなふりをして、僕は、たくらんでいるのです。
ニートと呼ばれる少年たちと、莫大なお金を手にする若き起業家たちとは背中合わせです。父親は、息子に何かを伝えなければなりません。昼と夜とは、交互にやってきます。未来は、やがて過去になる運命を背負っています。
沖縄にただ抱かれていても、沖縄は何も伝えてはくれません。自らの中にある「沖縄ではないもの」に気づかない限り、沖縄は何も伝えてはくれないのです。
そのことを、僕は、貴方様に沖縄で会って、久し振りに考えているのです。
ただし、沖縄の人に愛され、沖縄に癒されたいのなら、「沖縄ではないもの」に目を閉ざすことです。生まれることのなかった名もなき子どもこそが、どんな名前の人間よりも愛されるのだから。愛されたい僕にとって、僕のたくらみは、きっと棘の道なのです。でも、もう引き返すことはできません。
また、沖縄でお会いできる日を楽しみにしています。御迷惑でなければ。 敬具
沖縄では、大変お世話になりました。色々とお骨折りくださり、どのような感謝の言葉を申し上げればよいのか、ほんとうにありがとうございました。お礼のお手紙、今日までお送りできませんでしたことも、心よりお詫びいたします。
少し語りすぎたと反省しているのです。黙っていれば通り過ぎてしまえたものを、語ったばかりに、却っておおきな空洞を置いてきてしまったようで、それをどう説明して埋めればよいのかと、ずっと考えていたのです。
僕は、貴方様と沖縄でご一緒させていただきながら、実は、ある光景を思い出しておりました。
もう何年になるのでしょうか、義理の父親が他界し、その葬儀に出席した折のこと、僕は、ただ故人の長女の連れ合いであるという理由だけで、遺族の中心にいなければなりませんでした。その反対側には、義父の生まれ島から駆け付けた、たくさんの方々が並んでいらっしゃいました。
その光景。
正直に言います。僕は、その光景の「風貌」に、圧倒されていました。
ああこの僕は、ここでただひとり、異質な存在として、無言のうちにはじかれている、と、強烈に感じたのです。
空の青は異様に深く、仏桑花の色は、限りなく黒に近い赤でした。隣の妻も、その時は全く見知らぬ他人だったのです。
その光景。
もし貴方様が島の方であったなら、そんな光景を思い出すことなどなかっただろうと思うのです。しかし、僕は、貴方の中に、自分と同じ「沖縄でないもの」を見つけました。すると、あの忘れていた光景が、蘇ってきたのです。
一度分裂した精神は、二度と元に戻ることはないと、何かで読んだ記憶があるのです。これって、誤解を招く表現ですね。分裂症は治らないというような意味に受け止められては困る。全くそうではありません。僕は、この言葉をこう理解した。一度名づけられたものは、その名前から逃れることができないというふうに。名づけるという行為は、そのものを他のものから区別することにほかならない、つまり、そのものは「他」から分裂させられるということなのです。
分かりにくくてごめんなさい。うまく伝えられない、いつものことです。貴方様が、僕のブログを読んでいるなんておっしゃるものだから、そんな人などいるわけないと思っていたものだから、しかし、僕の言葉は、ほんとに貴方様に届いているのでしょうか。
自分の名前を、忘れることはできるのです。僕は、あの光景を、忘れていたのです。
貴方様にお預けした、山猫合奏団の企画書ですが、僕はそれにこう書きました。
「未だ名前のないわれわれのジャンルに、新たな名前を与えてください」
大嘘なのです。名前を頂くことは、できればずっと御遠慮申し上げたい。永遠に母体の子宮のなかで眠る胎児でいたいのです。しかし、人間は生まれなければならないし、生まれたものは、名づけられなければならないのです。
僕は、たくらんでいます。このブログとやらを使って、引き裂かれた自己を、引き裂かれた世界につなげてみようとしているのです。
僕は、過去の僕自身の叫びに、耳を傾けます。そんなふりをして、僕は、たくらんでいるのです。
ニートと呼ばれる少年たちと、莫大なお金を手にする若き起業家たちとは背中合わせです。父親は、息子に何かを伝えなければなりません。昼と夜とは、交互にやってきます。未来は、やがて過去になる運命を背負っています。
沖縄にただ抱かれていても、沖縄は何も伝えてはくれません。自らの中にある「沖縄ではないもの」に気づかない限り、沖縄は何も伝えてはくれないのです。
そのことを、僕は、貴方様に沖縄で会って、久し振りに考えているのです。
ただし、沖縄の人に愛され、沖縄に癒されたいのなら、「沖縄ではないもの」に目を閉ざすことです。生まれることのなかった名もなき子どもこそが、どんな名前の人間よりも愛されるのだから。愛されたい僕にとって、僕のたくらみは、きっと棘の道なのです。でも、もう引き返すことはできません。
また、沖縄でお会いできる日を楽しみにしています。御迷惑でなければ。 敬具
6月12日木曜日: 1983年以前のノート《統一の意思》
カテゴリ: 書斎で書くこと
1983年以前のノートは破り捨てた。きっとその年の春のことだ。破り捨てた理由は憶えていない、しかし、その春は懐かしい。
僕は、ちょいと危なっかしいところにいた。今、埋め草に使っている1983年からのノートは、そこから立ち直って書いたものだ。
ただ、捨てずに残したものがあった。
レポート用紙に書き綴った、「統一の意思」と題した未完の哲学的草稿。
それこそが、危なっかしさを増長した元凶だったのか、それとも、救いの天使だったのか。書くことによって深みにはまっていったのか、書いたから逃れられたのか。
身体的原初的欲求からヘーゲルの「精神現象学」、そしてマルクスの「資本論」、果ては「第9」から「仏教」に至るまでを同列に思索する。なんとも壮大な構想である。
空腹を満たすことと祈ることが同じだというのではない。むしろその不連続性を証明することに躍起だった。何のためにか、食うことと祈ることを、ひとつの理念によって統一させることの苦悩と、そしてその希望を語るために。
大袈裟な話しだ。
ただ、今も僕は、その自前の世界観に、全ての現象を密かに当てはめて考えているふしがある。
CDを作ることも、このブログとやらで語ることも、「統一の意思」の不連続性の中にある。
少しばかり、分かり易す過ぎておもしろくない。
至るところで分裂している。
「社長」とやらの昼間の喧騒と夜の肩書なき沈黙。小説家の作品と役者の記憶、父親の役割と息子の中に見つけた過去の残像。会社と非会社的なるもの、芸術と非芸術的なるもの。
「やまと」と「おきなわ」。
分裂は内にある。日記で、内なる他者と出会う。あるいは、日記そのものが、内なる他者の「死」でもある。だがブログは、理念として初めから世界を他者としているものだから、内なる他者を見つめることを忘れる。あたかもブログの文章が、自分の「生」のかたちだと勘違いして世界と対決する。
君たちがインターネットという万華鏡で覗いている世界は、ほんとうは、虚ろなのだ。
「続きを読む」なんて機能がある。そう書いたら、現実に引き戻された感じがする。なんだか妙だ。「ブログ」と「統一の意思」とは、いったいどっちの方が「より確かなもの」なのか。
その「続きを読む」を使って、「統一の意思」の冒頭の一部を、虚ろな世界に向けて公開してみる。
全く残響のない洞窟に、僕の過去という「死」を葬るのである。
僕は、ちょいと危なっかしいところにいた。今、埋め草に使っている1983年からのノートは、そこから立ち直って書いたものだ。
ただ、捨てずに残したものがあった。
レポート用紙に書き綴った、「統一の意思」と題した未完の哲学的草稿。
それこそが、危なっかしさを増長した元凶だったのか、それとも、救いの天使だったのか。書くことによって深みにはまっていったのか、書いたから逃れられたのか。
身体的原初的欲求からヘーゲルの「精神現象学」、そしてマルクスの「資本論」、果ては「第9」から「仏教」に至るまでを同列に思索する。なんとも壮大な構想である。
空腹を満たすことと祈ることが同じだというのではない。むしろその不連続性を証明することに躍起だった。何のためにか、食うことと祈ることを、ひとつの理念によって統一させることの苦悩と、そしてその希望を語るために。
大袈裟な話しだ。
ただ、今も僕は、その自前の世界観に、全ての現象を密かに当てはめて考えているふしがある。
CDを作ることも、このブログとやらで語ることも、「統一の意思」の不連続性の中にある。
少しばかり、分かり易す過ぎておもしろくない。
至るところで分裂している。
「社長」とやらの昼間の喧騒と夜の肩書なき沈黙。小説家の作品と役者の記憶、父親の役割と息子の中に見つけた過去の残像。会社と非会社的なるもの、芸術と非芸術的なるもの。
「やまと」と「おきなわ」。
分裂は内にある。日記で、内なる他者と出会う。あるいは、日記そのものが、内なる他者の「死」でもある。だがブログは、理念として初めから世界を他者としているものだから、内なる他者を見つめることを忘れる。あたかもブログの文章が、自分の「生」のかたちだと勘違いして世界と対決する。
君たちがインターネットという万華鏡で覗いている世界は、ほんとうは、虚ろなのだ。
「続きを読む」なんて機能がある。そう書いたら、現実に引き戻された感じがする。なんだか妙だ。「ブログ」と「統一の意思」とは、いったいどっちの方が「より確かなもの」なのか。
その「続きを読む」を使って、「統一の意思」の冒頭の一部を、虚ろな世界に向けて公開してみる。
全く残響のない洞窟に、僕の過去という「死」を葬るのである。
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6月 8日日曜日: その夜。
カテゴリ: 書斎で書くこと
父さん。
人間を「偉い」とか「偉くない」とかで判断していいのでしょうか。
僕は、父さんの書斎の本棚の中で、ひときわ異様に黒光りしていた埴谷雄高の「死霊」という本を持ち出して、一日中読みふけっています。いったいどうすれば、もっとも罪なく生きることができるのか、ずっと考え続けているのです。
父さん、父さんは若い頃、この未完の小説を、どのように読んだのですか? 父さんは、この恐ろしい小説から、どのように離れることができたのですか。
埴谷雄高が奥さんに堕胎させたというはなし、本当なのですか。もしそれが一番正しい選択だったのだとしたら、僕は、このまま生きていて許されるのでしょうか? この生きるという不快から逃れるには、死を選ぶしかないのでしょうか。お願いです父さん、どうか教えて欲しいのです。
息子よ。
おまえは、どのようにして、毎日お前の腹を満たしているのだ? 責めているのではない。決して責めているのではないから、どうか、死なねばならないなどと考えて、毎日君のために食事を作ってくれる母さんを、君の大好きな母さんを悲しませるようなことは、絶対にしてはいけない。
息子よ。ずっと閉ざされたまま久しい君の部屋の窓を、明日の朝一番に開け放してみなさい。そして、部屋の中に新鮮な風を入れ、いっぱいの日の光で満たしてみなさい。そうすれば、君の元気も少しは回復するだろうから、どうだ、今度父さんと旅に出かけてみないか。母さんの生まれた南国の島へ、ふたりで行ってみないか。
君が沖縄で癒されるだろうなどと、そんな甘ったれたことを考えているわけではない。そうではなくて、君の母さんがずっと抱え込んできた現実を、君にも感じてもらいたいのだ。あの頃の父さんが出会った沖縄を、君に知ってもらいたいのだ。そうすれば、父さんがどのように「死霊」を忘れることができたのか、きっとわかってもらえるに違いない。
今日、君に問われて、父さんは「死霊」のこと、思い出そうとしたのだが、ずいぶんと忘れてしまっていることに気がついた。もう一度読み直してみようかと思ったが、会社なんかやりながら、片手間に読めるような代物じゃない。そのぐらいのことは覚えている。
いつか君と泡盛でも飲みながら、君から「死霊」についての講義が聞ける時の来ることを、父さんはとても楽しみにしているよ。
注:ここに登場した「息子」はフィクションです。実在の人物とは全く関係ありません。(ほんとかな)
人間を「偉い」とか「偉くない」とかで判断していいのでしょうか。
僕は、父さんの書斎の本棚の中で、ひときわ異様に黒光りしていた埴谷雄高の「死霊」という本を持ち出して、一日中読みふけっています。いったいどうすれば、もっとも罪なく生きることができるのか、ずっと考え続けているのです。
父さん、父さんは若い頃、この未完の小説を、どのように読んだのですか? 父さんは、この恐ろしい小説から、どのように離れることができたのですか。
埴谷雄高が奥さんに堕胎させたというはなし、本当なのですか。もしそれが一番正しい選択だったのだとしたら、僕は、このまま生きていて許されるのでしょうか? この生きるという不快から逃れるには、死を選ぶしかないのでしょうか。お願いです父さん、どうか教えて欲しいのです。
息子よ。
おまえは、どのようにして、毎日お前の腹を満たしているのだ? 責めているのではない。決して責めているのではないから、どうか、死なねばならないなどと考えて、毎日君のために食事を作ってくれる母さんを、君の大好きな母さんを悲しませるようなことは、絶対にしてはいけない。
息子よ。ずっと閉ざされたまま久しい君の部屋の窓を、明日の朝一番に開け放してみなさい。そして、部屋の中に新鮮な風を入れ、いっぱいの日の光で満たしてみなさい。そうすれば、君の元気も少しは回復するだろうから、どうだ、今度父さんと旅に出かけてみないか。母さんの生まれた南国の島へ、ふたりで行ってみないか。
君が沖縄で癒されるだろうなどと、そんな甘ったれたことを考えているわけではない。そうではなくて、君の母さんがずっと抱え込んできた現実を、君にも感じてもらいたいのだ。あの頃の父さんが出会った沖縄を、君に知ってもらいたいのだ。そうすれば、父さんがどのように「死霊」を忘れることができたのか、きっとわかってもらえるに違いない。
今日、君に問われて、父さんは「死霊」のこと、思い出そうとしたのだが、ずいぶんと忘れてしまっていることに気がついた。もう一度読み直してみようかと思ったが、会社なんかやりながら、片手間に読めるような代物じゃない。そのぐらいのことは覚えている。
いつか君と泡盛でも飲みながら、君から「死霊」についての講義が聞ける時の来ることを、父さんはとても楽しみにしているよ。
注:ここに登場した「息子」はフィクションです。実在の人物とは全く関係ありません。(ほんとかな)
6月 8日日曜日: 営業マンが一番偉い(昼間のパパ)
カテゴリ: 社長のつぶやき
沖縄で営業してます・・・
自社発信の「商品」を持って営業すること、それが、「会社」には、きっと必須のことだと思うのです。その経験を持たない会社は、未だ「会社」ではなく、その足元は、とても脆弱でしょう。
当初、山猫合奏団のCDを作るにあたって、自前のPCで焼いたような簡単なものでもいいのではないか、と僕は考えていました。どんな形態にしても、中の「音楽」は同じものではないか。
しかし、帯を作ってバーコードを貼り付け、包装ラップをして、どうにか世に流通する商品としての体裁を整え、実際それを持って営業しているうちに、これでよかった、これしかなかったという思いが、どんどんと増してきました。
営業といっても、CDそのものを売る営業に限ったことではないのです。全く違う業務の営業でも、うちではこんなものも作っているのですとCDを出すと、先方はみんな笑顔になり、会社の印象も、よく受け取られるのです。彼らは、中の音楽を聴くわけではありません。目の前にある、CDという商品の「姿」を見て、好印象を持ってくれるのです。
白石准作曲、宮沢賢治原作、(株)M.A.P.制作のCD「セロ弾きのゴーシュ」は、会社が作った初めての「商品」です。作品の性質からいって、何万枚も売れて、大きな利益を会社にもたらすなどということは、まあないでしょう。元が取れるかどうかも怪しい。しかし、このCDは、採算以上のとても大切な何かを、会社に与えてくれたのです。
今後、本来の業務でも自らのコンテンツを作り出し、成長させることができたとしたら、このCDを作成した経験があったからだ、ということになるでしょう。それを目指して、CDを作った経験を、会社として今後もつなげて生かしていかなければならないのです。
このCD持って、町へ出ましょう。営業マンになりましょう。その点について、まだまだ僕らは経験不足です。
昼間、太陽のもと、町を歩く営業マン、彼らが一番偉い、と、僕はいよいよ思っているのです。
それにしても、やっぱり沖縄の太陽は痛いです。
自社発信の「商品」を持って営業すること、それが、「会社」には、きっと必須のことだと思うのです。その経験を持たない会社は、未だ「会社」ではなく、その足元は、とても脆弱でしょう。
当初、山猫合奏団のCDを作るにあたって、自前のPCで焼いたような簡単なものでもいいのではないか、と僕は考えていました。どんな形態にしても、中の「音楽」は同じものではないか。
しかし、帯を作ってバーコードを貼り付け、包装ラップをして、どうにか世に流通する商品としての体裁を整え、実際それを持って営業しているうちに、これでよかった、これしかなかったという思いが、どんどんと増してきました。
営業といっても、CDそのものを売る営業に限ったことではないのです。全く違う業務の営業でも、うちではこんなものも作っているのですとCDを出すと、先方はみんな笑顔になり、会社の印象も、よく受け取られるのです。彼らは、中の音楽を聴くわけではありません。目の前にある、CDという商品の「姿」を見て、好印象を持ってくれるのです。
白石准作曲、宮沢賢治原作、(株)M.A.P.制作のCD「セロ弾きのゴーシュ」は、会社が作った初めての「商品」です。作品の性質からいって、何万枚も売れて、大きな利益を会社にもたらすなどということは、まあないでしょう。元が取れるかどうかも怪しい。しかし、このCDは、採算以上のとても大切な何かを、会社に与えてくれたのです。
今後、本来の業務でも自らのコンテンツを作り出し、成長させることができたとしたら、このCDを作成した経験があったからだ、ということになるでしょう。それを目指して、CDを作った経験を、会社として今後もつなげて生かしていかなければならないのです。
このCD持って、町へ出ましょう。営業マンになりましょう。その点について、まだまだ僕らは経験不足です。
昼間、太陽のもと、町を歩く営業マン、彼らが一番偉い、と、僕はいよいよ思っているのです。
それにしても、やっぱり沖縄の太陽は痛いです。
6月 7日土曜日: 道徳的であることと誠実であること
カテゴリ: 書斎で書くこと
ドラフト保存というのでしょうか。メールでいうところの「下書き保存」というやつです。
本来、ブログって、その日その時の感覚を、すっと記録して、さらりと公開する、まったくもって軽やかなものであるべきなのかもしれません。しかし、僕は、思いついたことを、そっと書いてはみるが、なんだか納得できなくて、だからドラフト保存なるものをして、そのまま置いておきます。そうして後日、その気になった時、ちょいと整えて、そして公開するのです。
何故なんだろう、と考えています。どうやら僕は、今の「生」を記録することなど、絶対にできない不可能ごとなのだと思い込んでいるらしいのです。どんなにあがいても、「記録」とは「死」でしかないというふうに。
1983年の7月のノートに、カミュの「手帖」から、次のような一文を、僕は書き写しています。
「ぼくのなかには或る混乱が、或る怖ろしい無秩序がある。創造することは、ぼくには無数の死に値してしまう。なぜなら、創造とは秩序に関わることだし、ぼくの全存在は秩序を拒絶するからだ。だが秩序がなければ、ぼくは拡散して死んでしまうだろう。」
CDを作るということ、売り込むこと、何かを書き残すということ、それらに対する迷いの原点が、ここにあります。それはどういうことか、理屈はいくらでも語れます。しかし、結局それらは、全て嘘のような気もします。
「道徳的であることと、誠実であることのディレンマ」ジイド
何もしないことが誠実なことなのだと、自殺する勇気のない僕は、毎日飲んだくれては、うめいていたのです。
僕は、そこから本当に逃れられているのでしょうか。一週間以上前の文章を手直しして公開するような、こんなインチキブログを書いているところをみると、どうやら病は慢性化して、極めて性質の悪いものになっているのかもしれません。
過去の日記を修正するなんて、潔く死ねない女々しい男だということさ。はなっから、死んでるんじゃないのかい?
つまらない結論です。
これから、沖縄へ行きます。仕事です。沖縄について、書かねばならないことがいっぱいあります。しかし、今のところ、それらはみんな、ドラフト保存して、暖めておくことにします。
本来、ブログって、その日その時の感覚を、すっと記録して、さらりと公開する、まったくもって軽やかなものであるべきなのかもしれません。しかし、僕は、思いついたことを、そっと書いてはみるが、なんだか納得できなくて、だからドラフト保存なるものをして、そのまま置いておきます。そうして後日、その気になった時、ちょいと整えて、そして公開するのです。
何故なんだろう、と考えています。どうやら僕は、今の「生」を記録することなど、絶対にできない不可能ごとなのだと思い込んでいるらしいのです。どんなにあがいても、「記録」とは「死」でしかないというふうに。
1983年の7月のノートに、カミュの「手帖」から、次のような一文を、僕は書き写しています。
「ぼくのなかには或る混乱が、或る怖ろしい無秩序がある。創造することは、ぼくには無数の死に値してしまう。なぜなら、創造とは秩序に関わることだし、ぼくの全存在は秩序を拒絶するからだ。だが秩序がなければ、ぼくは拡散して死んでしまうだろう。」
CDを作るということ、売り込むこと、何かを書き残すということ、それらに対する迷いの原点が、ここにあります。それはどういうことか、理屈はいくらでも語れます。しかし、結局それらは、全て嘘のような気もします。
「道徳的であることと、誠実であることのディレンマ」ジイド
何もしないことが誠実なことなのだと、自殺する勇気のない僕は、毎日飲んだくれては、うめいていたのです。
僕は、そこから本当に逃れられているのでしょうか。一週間以上前の文章を手直しして公開するような、こんなインチキブログを書いているところをみると、どうやら病は慢性化して、極めて性質の悪いものになっているのかもしれません。
過去の日記を修正するなんて、潔く死ねない女々しい男だということさ。はなっから、死んでるんじゃないのかい?
つまらない結論です。
これから、沖縄へ行きます。仕事です。沖縄について、書かねばならないことがいっぱいあります。しかし、今のところ、それらはみんな、ドラフト保存して、暖めておくことにします。