7月20日日曜日: 《1984年3月8日のノート》
カテゴリ: 《過去のノート》
現実を括弧に入れた美しさ。他者との没交渉の感動。だが花は散る。現実をくくっていた括弧が外れて、芥川は「生活」に殺されたのだ。そして、もう花は咲かない。
「死ぬまで生きていなければならない」
……ショウペンハウエル。
「死ぬのが恐ろしいというだけの事が、あの人を無理に生きさせる力を持っているだろうか!」
……ドストエフスキー(罪と罰)。
「生きてきたのが悲しくて、生きているのが悲しくて! 彼女が泣いているのだと、気がつかないのか馬鹿野郎! 膝頭打合うほどにわななかせ、特に彼女が泣く故は、明日も亦生きねばならないその故だ! 明日も、明後日も、いつまでも、生きねばならないその故だ! 僕らの誰もがすることさ!」
……ボードレール(仮面)。
みんな、おんなじ事、言ってやがる。
「死ぬまで生きていなければならない」
……ショウペンハウエル。
「死ぬのが恐ろしいというだけの事が、あの人を無理に生きさせる力を持っているだろうか!」
……ドストエフスキー(罪と罰)。
「生きてきたのが悲しくて、生きているのが悲しくて! 彼女が泣いているのだと、気がつかないのか馬鹿野郎! 膝頭打合うほどにわななかせ、特に彼女が泣く故は、明日も亦生きねばならないその故だ! 明日も、明後日も、いつまでも、生きねばならないその故だ! 僕らの誰もがすることさ!」
……ボードレール(仮面)。
みんな、おんなじ事、言ってやがる。
7月19日土曜日: 《1984年2月18日と19日のノート》
カテゴリ: 《過去のノート》
1984年2月18日
「当世の通人はいずれも個人として考えれば、愛すべき人間に相違あるまい。彼らは芭蕉を理解している。レオ・トルストイを理解している。池大雅を理解している。武者小路実篤を理解している。しかしそれが何になるんだ? 彼らは猛烈な恋愛を知らない。猛烈な創造の歓喜を知らない。猛烈な道徳的情熱を知らない。猛烈な、――およそこの地球を荘厳にすべき猛烈な何物も知らずにいるんだ。」
(芥川龍之介「一夕話」)
朽ちた道標。〈右〉「通人」へ 〈左〉……「?」、欠損。「猛烈な物」は、〈左〉の先にあるのか、〈後〉にあったのか……。
1984年2月19日
芥川龍之介「三つの宝」。
〈左〉……、
「もっと広い世界」
「ただ我々はその世界へ、勇ましい一隊の兵卒のように、進んで行くことを知っているだけです。」
しかしそこは……、
「もっと醜い、もっと美しい、――もっと大きいお伽話の世界!」
〈お伽話〉ではなく、〈もっと大きいお伽話の世界〉とは一体何の喩? 道標の前で、立ち尽くす独りの〈兵卒〉。
「当世の通人はいずれも個人として考えれば、愛すべき人間に相違あるまい。彼らは芭蕉を理解している。レオ・トルストイを理解している。池大雅を理解している。武者小路実篤を理解している。しかしそれが何になるんだ? 彼らは猛烈な恋愛を知らない。猛烈な創造の歓喜を知らない。猛烈な道徳的情熱を知らない。猛烈な、――およそこの地球を荘厳にすべき猛烈な何物も知らずにいるんだ。」
(芥川龍之介「一夕話」)
朽ちた道標。〈右〉「通人」へ 〈左〉……「?」、欠損。「猛烈な物」は、〈左〉の先にあるのか、〈後〉にあったのか……。
1984年2月19日
芥川龍之介「三つの宝」。
〈左〉……、
「もっと広い世界」
「ただ我々はその世界へ、勇ましい一隊の兵卒のように、進んで行くことを知っているだけです。」
しかしそこは……、
「もっと醜い、もっと美しい、――もっと大きいお伽話の世界!」
〈お伽話〉ではなく、〈もっと大きいお伽話の世界〉とは一体何の喩? 道標の前で、立ち尽くす独りの〈兵卒〉。
7月18日金曜日: 《1984年2月24日のノート》
カテゴリ: 《過去のノート》
ボードレールの創造した「新しい戦慄」(ユーゴー)も、今はもう新しくない。神の国から一歩も出なかった彼の『叛逆』。彼は「おお悪魔よ」と、やはり〈祈る〉のだ。
それから、古いもの、もうひとつ……
「――ああ! 主よ! 願わくは、授け給え、
わが心と肉体とを嫌悪の情に駆られずに眺め得る力と勇気を!」
(シテールへの或る旅)
なるほど、力と勇気と、そして〈祈り〉が必要なのだ、そんな事、とうに分かっているさと、僕は平然としている。何も解決していないのに。
午前中『悪の華』の残りを読み終える。堀口大学の訳に不満、といって原典を読めるわけでもなし。マネの画集を開いて、「ローラ・ド・ヴァランス」と対面するが、それほど美しいとも思わない。真実を伝えない言葉。つまり完全に自立している言葉・・・
午後、忘れてきた手帳を取りに稽古場へ行く。途中、昼過ぎのその時間にしては妙に混んでいる電車の中で、『悪の華』の余韻を引きずりながら、芥川の「犬」という一篇を読む。芥川は、犬が嫌いだったはずだが……
渋谷の駅を出る。大勢の人が、様々な表情をして歩いている。すると変だ。視覚異常でも起こしたのだろうか、街の人々が原色でもって鮮明に浮き立ち始めた。取り囲む風景はというと、ビルも、歩道橋も、人々と不思議に調和しながら、やっぱり原色なのだ。澱んでいるはずの空も例外ではない。
なるほどそうか、生活が見えないのだ。彼らの抱えている苦悩は、けっして知り得ないということを、彼らはよってたかって僕に思い知らせようとしているのだ。今なら、皺だらけの農夫に出会っても、きっと原色で見えるに違いない。そういえば、今日はすっかり春めいている。ほら、ボードレールの「声」が聞こえる。
「そなたの夢を大事になさい、賢者は狂人ほど見事な夢は見ていない!」
だが、どうやらこれは夢ではないし、だいいちそれに、僕は狂人などという御立派なものではなかったらしい。
稽古場で、つまらぬ挨拶を交わしていたら、渋谷の街は、またいつものように灰色のフィルターに包まれてしまった。さて、早いとこ家へ帰って、書見でもいたそうか。
そして・・・
ボードレールの「信天翁」……。
「僕は信じない、不徳の母が知識だとも、美徳が無知の娘だとも」
ある一線を越えると、言葉は決して真実を語らなくなる。全てが忘れ去られてしまったように、ただ甘美な詩を歌うだけだ。
いつか手帳に「忘却に就いて」と書きとめた。以来その課題はいっこうに進展しない。「紺珠」に「忘却の河」について書き付けるのは矛盾だし、「紺珠」を「忘却の河」に流すには、まだまだ苦悩が足りない。プラトニックなレズビアン、何故だか「道学先生プラトン」がしかめ面する〈レスボス〉も、「果しなく悩みつづける苦悩の故にそなたの罪は赦される!」
ボードレールには!印が多くていけない。
それから、古いもの、もうひとつ……
「――ああ! 主よ! 願わくは、授け給え、
わが心と肉体とを嫌悪の情に駆られずに眺め得る力と勇気を!」
(シテールへの或る旅)
なるほど、力と勇気と、そして〈祈り〉が必要なのだ、そんな事、とうに分かっているさと、僕は平然としている。何も解決していないのに。
午前中『悪の華』の残りを読み終える。堀口大学の訳に不満、といって原典を読めるわけでもなし。マネの画集を開いて、「ローラ・ド・ヴァランス」と対面するが、それほど美しいとも思わない。真実を伝えない言葉。つまり完全に自立している言葉・・・
午後、忘れてきた手帳を取りに稽古場へ行く。途中、昼過ぎのその時間にしては妙に混んでいる電車の中で、『悪の華』の余韻を引きずりながら、芥川の「犬」という一篇を読む。芥川は、犬が嫌いだったはずだが……
渋谷の駅を出る。大勢の人が、様々な表情をして歩いている。すると変だ。視覚異常でも起こしたのだろうか、街の人々が原色でもって鮮明に浮き立ち始めた。取り囲む風景はというと、ビルも、歩道橋も、人々と不思議に調和しながら、やっぱり原色なのだ。澱んでいるはずの空も例外ではない。
なるほどそうか、生活が見えないのだ。彼らの抱えている苦悩は、けっして知り得ないということを、彼らはよってたかって僕に思い知らせようとしているのだ。今なら、皺だらけの農夫に出会っても、きっと原色で見えるに違いない。そういえば、今日はすっかり春めいている。ほら、ボードレールの「声」が聞こえる。
「そなたの夢を大事になさい、賢者は狂人ほど見事な夢は見ていない!」
だが、どうやらこれは夢ではないし、だいいちそれに、僕は狂人などという御立派なものではなかったらしい。
稽古場で、つまらぬ挨拶を交わしていたら、渋谷の街は、またいつものように灰色のフィルターに包まれてしまった。さて、早いとこ家へ帰って、書見でもいたそうか。
そして・・・
ボードレールの「信天翁」……。
「僕は信じない、不徳の母が知識だとも、美徳が無知の娘だとも」
ある一線を越えると、言葉は決して真実を語らなくなる。全てが忘れ去られてしまったように、ただ甘美な詩を歌うだけだ。
いつか手帳に「忘却に就いて」と書きとめた。以来その課題はいっこうに進展しない。「紺珠」に「忘却の河」について書き付けるのは矛盾だし、「紺珠」を「忘却の河」に流すには、まだまだ苦悩が足りない。プラトニックなレズビアン、何故だか「道学先生プラトン」がしかめ面する〈レスボス〉も、「果しなく悩みつづける苦悩の故にそなたの罪は赦される!」
ボードレールには!印が多くていけない。
7月17日木曜日: 《1984年5月25日のノート》
カテゴリ: 《過去のノート》
梶井基次郎「冬の日」。
「それは、たとえば彼が半紙などを忘れて学校へ行ったとき、先生に断わりを言って急いで自家へ取りに帰って来る、学校の授業中の、なにか珍しい午前の路であった。そんな時でもなければ垣間見ることを許されなかった、聖なる時刻の有様であった。」
……基次郎は天才である。
梶井基次郎は、何故、詩ではなく小説を書いたのか。そうした区別が無意味だというならばこう言い換えてもいい、彼は何故、より小説的な手法によって書いたのか。
基次郎は〈詩〉よりも、もう少し語りたかったのではなかったのか。〈詩〉の世界から〈論理〉へのわずかな傾斜。もしかすると、これこそが「幻想としての理想」が現実と関係しうる唯一の在り方ではないのか。
〈詩〉を憧憬しながらも、より論理的なことばを採用せずにはいられぬ性癖、そういうふうに言えば、例えば別役実の戯曲にもそれはいえるのかもしれないが、しかし別役の場合、基次郎とは逆に、〈論理〉から出発して、そして限りなく〈詩〉の世界へ近づいた、その結果のように見える。だからそれは、〈理想〉よりもはるかに〈あきらめ〉の色が濃いのである。
だが、夭折した基次郎に、僕は〈あきらめ〉を感じない。死を覚悟した者の現実世界への限りない憧れ。そこに〈あきらめ〉などない。だから、悲しい。
なるほど、太古、叫びから生まれたばかりの、いまだ言霊を失わぬ《ことば》こそ、それとは知らず、〈論理〉へ向けて一歩を踏み出した《希望》だったのではなかったか。
「それは、たとえば彼が半紙などを忘れて学校へ行ったとき、先生に断わりを言って急いで自家へ取りに帰って来る、学校の授業中の、なにか珍しい午前の路であった。そんな時でもなければ垣間見ることを許されなかった、聖なる時刻の有様であった。」
……基次郎は天才である。
梶井基次郎は、何故、詩ではなく小説を書いたのか。そうした区別が無意味だというならばこう言い換えてもいい、彼は何故、より小説的な手法によって書いたのか。
基次郎は〈詩〉よりも、もう少し語りたかったのではなかったのか。〈詩〉の世界から〈論理〉へのわずかな傾斜。もしかすると、これこそが「幻想としての理想」が現実と関係しうる唯一の在り方ではないのか。
〈詩〉を憧憬しながらも、より論理的なことばを採用せずにはいられぬ性癖、そういうふうに言えば、例えば別役実の戯曲にもそれはいえるのかもしれないが、しかし別役の場合、基次郎とは逆に、〈論理〉から出発して、そして限りなく〈詩〉の世界へ近づいた、その結果のように見える。だからそれは、〈理想〉よりもはるかに〈あきらめ〉の色が濃いのである。
だが、夭折した基次郎に、僕は〈あきらめ〉を感じない。死を覚悟した者の現実世界への限りない憧れ。そこに〈あきらめ〉などない。だから、悲しい。
なるほど、太古、叫びから生まれたばかりの、いまだ言霊を失わぬ《ことば》こそ、それとは知らず、〈論理〉へ向けて一歩を踏み出した《希望》だったのではなかったか。
7月16日水曜日: 《1984年1月22日の夢のかけら》
カテゴリ: 《過去のノート》
「どうもこういう問題になると、なかなか哲学史の一冊も読むような、簡単な訳にゃいかないんだから困る」
芥川龍之介の「路上」は未完のまま終わっている。〈ほんとうの愛とは〉〈偽りのない愛とは〉、その答えを、芥川は「路上」のようなリアルな小説の中で具象化してみせることができなかった。
芥川の信ずる愛の形、それは辰子との出会いの瞬間に、もうそれ以上発展のしようのない形で完結していたのだ。それに続くであろうリアルな生活は、芥川にとっては、きっと手におえないものだったのである。
23時35分。静寂の中。そうだ、僕らの時代には音楽があるのだ、あるはずなのだ、ふと強烈のそう感じたのだ。しかし、静寂の中、いかなる音も僕の耳には聞こえてこない。今の僕にとって、音楽とは、何ら具体性を持たない単なる概念であるらしいのだ。
その夜〈白日夢〉を見た・・・
彼女は60年代的モラルを持っていた。だから、当然の様に、処女などといういかがわしい肩書きは、できるだけ早いところ捨ててしまいたいと思っていた。ところが、その「真面目さ」が、かえってその実現を遅らせていた。
何かが熟した。その時、偶然にも彼女の前にいた男。彼女はその男を利用した。男もまた、利用されることを理解していた。
「男と寝る」という彼女の行為は、それのみ単独で完結した意味を持ち、だからこそ価値もある筈だった。ところが、彼女は彼を愛してしまう。不覚であった。彼女はそういう自分自身が許せなかった。彼女の意志で選んだ確かな行為が、「愛」という淫靡で不確かなものに汚されたような気がしたのだ。
彼女は、悩んだ。
男は、そんな彼女に惹かれ始める。
結局彼女は、平凡な恋に堕ちた。彼女は肉体と精神の安易な慣れ合いを認めてしまったのだ。
彼女の顔からはすっかり険が消えていった。彼女は美しかった。
彼女は幸福だった。
男は、彼女から、出会った頃の、あの特別な魅力が消えているのを感じた。
芥川龍之介の「路上」は未完のまま終わっている。〈ほんとうの愛とは〉〈偽りのない愛とは〉、その答えを、芥川は「路上」のようなリアルな小説の中で具象化してみせることができなかった。
芥川の信ずる愛の形、それは辰子との出会いの瞬間に、もうそれ以上発展のしようのない形で完結していたのだ。それに続くであろうリアルな生活は、芥川にとっては、きっと手におえないものだったのである。
23時35分。静寂の中。そうだ、僕らの時代には音楽があるのだ、あるはずなのだ、ふと強烈のそう感じたのだ。しかし、静寂の中、いかなる音も僕の耳には聞こえてこない。今の僕にとって、音楽とは、何ら具体性を持たない単なる概念であるらしいのだ。
その夜〈白日夢〉を見た・・・
彼女は60年代的モラルを持っていた。だから、当然の様に、処女などといういかがわしい肩書きは、できるだけ早いところ捨ててしまいたいと思っていた。ところが、その「真面目さ」が、かえってその実現を遅らせていた。
何かが熟した。その時、偶然にも彼女の前にいた男。彼女はその男を利用した。男もまた、利用されることを理解していた。
「男と寝る」という彼女の行為は、それのみ単独で完結した意味を持ち、だからこそ価値もある筈だった。ところが、彼女は彼を愛してしまう。不覚であった。彼女はそういう自分自身が許せなかった。彼女の意志で選んだ確かな行為が、「愛」という淫靡で不確かなものに汚されたような気がしたのだ。
彼女は、悩んだ。
男は、そんな彼女に惹かれ始める。
結局彼女は、平凡な恋に堕ちた。彼女は肉体と精神の安易な慣れ合いを認めてしまったのだ。
彼女の顔からはすっかり険が消えていった。彼女は美しかった。
彼女は幸福だった。
男は、彼女から、出会った頃の、あの特別な魅力が消えているのを感じた。