1月13日火曜日: 《1994年6月29日の新しいノート》
カテゴリ: 《過去のノート》
5月30日以来の登戸病院。定期検診。
結果は一週間後。沈む気分。
元気な子供たちの笑顔。こいつらを残して死ぬのは、絶対に不憫だと思う。
結果は一週間後。沈む気分。
元気な子供たちの笑顔。こいつらを残して死ぬのは、絶対に不憫だと思う。
12月18日木曜日: 《1994年6月15日の新たなノート》
カテゴリ: 《過去のノート》
「いってきます!」
「いってらっしゃい」と言った時にはもういなかった。窓の外をのぞけば、一目散に走っていくあいつが見える。
肩から半分ズレ下がって引きずりそうな黄色いカバンと、アゴ紐のおかげでかろうじて首にぶらさがっている紺色のベレー帽。
幼稚園は楽しいかと聞けば、楽しいと答える。本当かな、とちょっと気に掛かる。楽しくないと言えば、親が心配するということを、あいつはもう知っているのかもしれないと思う。
もう4歳か。
早いものだと思う。あまりにも。
「いってらっしゃい」と言った時にはもういなかった。窓の外をのぞけば、一目散に走っていくあいつが見える。
肩から半分ズレ下がって引きずりそうな黄色いカバンと、アゴ紐のおかげでかろうじて首にぶらさがっている紺色のベレー帽。
幼稚園は楽しいかと聞けば、楽しいと答える。本当かな、とちょっと気に掛かる。楽しくないと言えば、親が心配するということを、あいつはもう知っているのかもしれないと思う。
もう4歳か。
早いものだと思う。あまりにも。
12月 5日金曜日: 《1994年6月12日新たなノートの始まり》
カテゴリ: 《過去のノート》
4月の20日以来、毎日暇さえあれば昔のノートをパソコンで打ち続けている。仕事のある日も、帰ってくればすぐさまパソコンの前に座り込む。
昨日今日と久しぶりの休み、ここぞとばかりに朝からずっと椅子に根を生やしている。
すると母ちゃんの使い、サァノミナサイと、娘が効果の定かでない漢方薬を水といっしょに運んで来た。
「ありがとうね」
飲めば「マズイ?」と僕の顔をのぞき込む。僕はわざと顔をしかめて頷いて見せる。すると彼女は、なんとも嬉しそうな笑顔を見せる……。
頑固に変わらぬこの自分、それに対して、この子供たちは何と劇的な速度で成長し変わっていくことか、そう思ったら子供たちの事をどうしたって書いておかなければという気になった。といっても、あいも変わらぬ僕の事だから、結局は子供たちを鏡にして、そして自分の事を書くことになるのだろう。だがそれでもいい、〈書く〉とは所詮そういう事なのだ。むしろ、子供たちそのものを書き残しておけると思い込む事の方が傲慢なのだ。
そして、僕はやおらこの《新たなノート》を書き始めた。
「とうさん、おしっこ」
娘のSOSである。
「ほんのちょっと待ってね」
僕は生返事をして、区切りのいいところまでとモニターから目を離さない。
ああ、そして、振り返ればもう手遅れ、そこには水溜まりの中に立ち尽くし、恨めしそうにじっと僕を見つめている娘がいた。
なるほど、やっぱり僕は、子供のことを書くといいながら、現実の子供の危機をそっちのけにして、自分について書いていたのである。
まだ僕にも、こんな軽口を書き残すことができるのかと、妙に納得している。
昨日今日と久しぶりの休み、ここぞとばかりに朝からずっと椅子に根を生やしている。
すると母ちゃんの使い、サァノミナサイと、娘が効果の定かでない漢方薬を水といっしょに運んで来た。
「ありがとうね」
飲めば「マズイ?」と僕の顔をのぞき込む。僕はわざと顔をしかめて頷いて見せる。すると彼女は、なんとも嬉しそうな笑顔を見せる……。
頑固に変わらぬこの自分、それに対して、この子供たちは何と劇的な速度で成長し変わっていくことか、そう思ったら子供たちの事をどうしたって書いておかなければという気になった。といっても、あいも変わらぬ僕の事だから、結局は子供たちを鏡にして、そして自分の事を書くことになるのだろう。だがそれでもいい、〈書く〉とは所詮そういう事なのだ。むしろ、子供たちそのものを書き残しておけると思い込む事の方が傲慢なのだ。
そして、僕はやおらこの《新たなノート》を書き始めた。
「とうさん、おしっこ」
娘のSOSである。
「ほんのちょっと待ってね」
僕は生返事をして、区切りのいいところまでとモニターから目を離さない。
ああ、そして、振り返ればもう手遅れ、そこには水溜まりの中に立ち尽くし、恨めしそうにじっと僕を見つめている娘がいた。
なるほど、やっぱり僕は、子供のことを書くといいながら、現実の子供の危機をそっちのけにして、自分について書いていたのである。
まだ僕にも、こんな軽口を書き残すことができるのかと、妙に納得している。
8月22日金曜日: 《1984年の僕を1994年の僕が解釈する:2》
カテゴリ: 子供たちへの手紙
愛する子供たちへ
ずっと父さんは穴ぼこに落ち込んでいました。
毎日、お芝居という仕事はしていたけれど、現実は夢のようでした。
ただただ書物とだけ交渉をもち、自分の心の中だけを覗いて過ごしていました。
もちろん好き好んでそうしていたわけではありません。そんな自分に嫌気がさしてもいました。早く穴ぼこから抜け出したかった。そのためにこそ書物が必要だとも思っていたのです。しかし読めば読むほど、蟻地獄のように逆にその穴ぼこに捕らえられてゆきました。
そんな父さんを救ってくれたのが「おきなわ」なのです。
このノートは、父さんがどうやって「おきなわ」に導かれて穴ぼこから出て行ったかの記録でもあります。読んで、君たちはどう思うのだろう。「おきなわ」を知ってもなお、グルグルと迷い続ける父さんについて、でも弁解するつもりはない。ただ父さんは、きっと心から感謝していたのです。
ずっと父さんは穴ぼこに落ち込んでいました。
毎日、お芝居という仕事はしていたけれど、現実は夢のようでした。
ただただ書物とだけ交渉をもち、自分の心の中だけを覗いて過ごしていました。
もちろん好き好んでそうしていたわけではありません。そんな自分に嫌気がさしてもいました。早く穴ぼこから抜け出したかった。そのためにこそ書物が必要だとも思っていたのです。しかし読めば読むほど、蟻地獄のように逆にその穴ぼこに捕らえられてゆきました。
そんな父さんを救ってくれたのが「おきなわ」なのです。
このノートは、父さんがどうやって「おきなわ」に導かれて穴ぼこから出て行ったかの記録でもあります。読んで、君たちはどう思うのだろう。「おきなわ」を知ってもなお、グルグルと迷い続ける父さんについて、でも弁解するつもりはない。ただ父さんは、きっと心から感謝していたのです。
7月28日月曜日: 《1984年の僕を1994年の僕が解釈する》
カテゴリ: 《過去を解釈する》
何かの〈きっかけ〉があって〈傍観者〉になったのではない。だいたいが〈傍観者〉になったのかどうか、それが定かでないし、それまで〈傍観者〉でなかったのかというと、それもよくわからない。つまり、何が変わったというわけではないのだ。きっと、〈傍観者〉という〈言葉〉をどこからか拾ってきて、いいもの見つけたとばかりに、都合よく使い始めただけのことなのだ。確かに、直截的に語ろうとすると、いらつく現実が〈谷底〉にはたくさんあったから、〈傍観者〉というレッテルを自らに貼りつけて、〈山のてっぺん〉で蟄居した振りをして、読書三昧の生活を正当化することができれば、すこぶる楽だったに違いない。少なくとも表面的には。
(1994/5/31)
時系列で読む
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