日本は、ナチスと同盟を組んだのである。ナチスに苦しめられたヨーロッパの国々から、その日本はどのように見えているのか。
「広島、わが愛」では、被爆国日本に、被害者のイメージが重ねられていく。だから、アメリカに配慮して、フランスはカンヌへの出品をためらった。
フランス人、アラン・レネが描いた「ヒロシマ」。原題は“Hiroshima, mon amour”

アジアでは、日本は徹底的に加害者である。だがそれに異を唱える者たちが蠢く。
つまり、「加害者」と「被害者」という二重性は、単純な地理的要因で理解できるはずもなく、もっと曖昧に、加害者としての日本と、被害者としての日本が絡み合っている。

だが「広島、わが愛」は、日本での公開時、その邦題を「二十四時間の情事」に変更される。結局のところ、“Hiroshima, mon amour”において、「加害者」も「被害者」も、何の意味もないのだ。描かれていたのは、「加害」とか「被害」とかという概念を超えた「虚空」と「人間」との関係なのだ。

日本人は、なぜこの虚空を描くことができないのだろう。
「レトナ通りにて」を読んで、またそう思ったのである。