多くの新しい演劇人たちにとって、演劇論など不要らしい。演劇論よりまえに演劇そのものがある。それはその通りだ。だが演劇よりもまえに人間がある。その人間にこだわる、人間について考える、考えればそこで哲学に出会う。そうして哲学せざるを得なくなった「誠実な」救われぬ人間は、演劇を考える時も、より哲学的に考えざるを得ない。そうなってしまったら、彼は不本意ながら演劇論を経由してでなければもはや演劇そのものにたち帰ることができない。演劇的インポテンツに悩みつつもそれしか手立てがない。その辺の事情と無関係な幸せな演劇人は、簡単に演劇論など無用だと言ってのける。既成の演劇論からの自由、それはよい。だがそれが、全ての演劇論的なものの否定を意味するとしたら、演劇はかえってその可能性の多くを失うだろう。