新宿へ。
「アイヌ」の記録フィルムを観に行く。
「人間」と「自然」の「正常な関わり」、フィルムを記録した民族学者が、アイヌ民族の精神を賛美する。
しかし、と僕は感じている。
「アイヌ」の「素晴らしき精神」は、アイヌ固有の信仰と切り離せるものではない。信仰があってこそ、その土台の上に成立するものだ。だが僕は、アイヌと信仰を共有していない。あらゆる信仰から自由でありたいと考える僕にとって、たとえそれがどれほど素晴らしいものであったとしても、「信仰」を前提とする精神を受け入れるとは、はたしてどういう精神の営みなのか。
民族学者は、「民族学者」の眼を通して「アイヌ」を見ている。
僕は、「役者」という虚ろな精神を持って、「アイヌ」を受け入れようとしている。
そういう関わり方を、アイヌの人々は許してくれるのだろうか。