7月 6日日曜日: 《1984年10月9日のノート》
カテゴリ: 《過去のノート》
今夜どこかで会おうと、ずっと前にAと約束してあった。彼女からの電話で会う場所を決めることになっていたが、それが断りの電話になった。
おとといのこと。
三人とも黙っていた。少なくとも僕にとっては、沈黙は苦痛ではなかった。何も考えてはいなかったが、空虚でもなかった。
「つまんないでしょ、あたしたちと飲んでも。」Aがぽつりと言う。
「そんなことはない。」と、僕は正直に答えた。
「こいつは、いろいろ考えてるんだよ。」と、あいつが言う。
「いや、それも違う。」
「そう言うと思った。わかってて言ったんだよ。」
〈相変わらず、おまえはいつもそうやって俺を利用する〉
僕はトイレにたった。そして放尿しながら考えた。
〈あいつの沈黙も空虚ではなかったということか。つまり、あいつと俺とは似通った場所にいたという訳だ。ことさら何も無いが、それでいて空虚でもない場所。空気のようなものだが、空気を感じているわけではない。しかし理屈で空気の存在を理解してしまっているという絶望感。男の理屈。辛いのは結局彼女なのだ。女は、きっといつだって具体的な場所で悩んでいる。女にとって、空気は理屈ではない。〉
彼女としては大声で僕に愚痴りたいこともあったのだろうが、おととい、ひょんなことで三人で飲むことになってしまって、もしかしたらその時の僕の沈黙が、すっかり彼女の気分を萎えさせたのかもしれない。結局、あんたもあっち側の人なのねというふうに。
僕は女ではないので、半分くらいは当たっている。
おとといのこと。
三人とも黙っていた。少なくとも僕にとっては、沈黙は苦痛ではなかった。何も考えてはいなかったが、空虚でもなかった。
「つまんないでしょ、あたしたちと飲んでも。」Aがぽつりと言う。
「そんなことはない。」と、僕は正直に答えた。
「こいつは、いろいろ考えてるんだよ。」と、あいつが言う。
「いや、それも違う。」
「そう言うと思った。わかってて言ったんだよ。」
〈相変わらず、おまえはいつもそうやって俺を利用する〉
僕はトイレにたった。そして放尿しながら考えた。
〈あいつの沈黙も空虚ではなかったということか。つまり、あいつと俺とは似通った場所にいたという訳だ。ことさら何も無いが、それでいて空虚でもない場所。空気のようなものだが、空気を感じているわけではない。しかし理屈で空気の存在を理解してしまっているという絶望感。男の理屈。辛いのは結局彼女なのだ。女は、きっといつだって具体的な場所で悩んでいる。女にとって、空気は理屈ではない。〉
彼女としては大声で僕に愚痴りたいこともあったのだろうが、おととい、ひょんなことで三人で飲むことになってしまって、もしかしたらその時の僕の沈黙が、すっかり彼女の気分を萎えさせたのかもしれない。結局、あんたもあっち側の人なのねというふうに。
僕は女ではないので、半分くらいは当たっている。
7月 5日土曜日: 後悔を思い出し、改めて後悔し直している。
カテゴリ: 社長のつぶやき
ここ半年が勝負だと思っています。
とてつもなく忙しいが、自分が蒔いた種なのだから仕方ありません。
なかなか認知されない、それもまた致し方なしです。
認知されればされたで、別の難題が降りかかってくるのに違いありません。会社のOfficial Siteを作ることが、吉と出るのか凶と出るのか、ともかく、自分の本当の顔を隠して、営業用の言葉を駆使することも、ボチボチ考えなければならないということなのでしょう。
こういうことを書いてしまうからいけない。しかし、まだまだ検索エンジンがソッポ向いているうちに、言いたいこと言ってしまおうと無責任に考えています。言いたいことを言い終わるまでは、直帰率の高い怪しいサイトのママにしておきます。
50も過ぎると、時々終わりを考えます。若い頃考えた死とは違います。過去だけで残った人生を生きるのも悪くないとも思うのです。
定年を迎えた世代には、自分史を書き残したいという人が大勢いるのだと聞きます。あんまり気の利いた趣味だとは思いませんが、しかし若者がブログを書くのとどこが違うのでしょう。僕も人のことは言えません。
過去は後悔に満ちています。死を準備する者たちは、きっと後悔だらけの過去を少しでも違ったものとして、自分の人生も捨てたもんじゃなかったと、自分自身にか、残した子供たちにか、信じ込ませるために粉飾した自分史を紡ぐのです。
一方ブログを書く若者は、今日の後悔は今日のうちに片をつけておかないと、明日を生きることができないほど耐性が欠如しているということなのかもしれません。
僕は、いったいどっちなのだろう。
過去のノートを、このブログらしきものの埋め草にしているのですが、実は使える文章は2割もいいところです。その他は危なっかしくて、公開できる代物じゃない。ちょいと修正すれば使えそうなものもあるが、そんな苦労するくらいなら、新しくでっち上げた方がはるかに早い。
使えない大量の過去の文章を眺めていると、今の若者はブログで満足できているのだろうかと思えてきます。誰にも読ませない日記でなければ吐露できない叫びというものが、君たちにはないのかと。他者を意識して冷静に書くことが大事だなんて、嘯(うそぶ)いてはいけません。なんでもありのおかしな掲示板のはなしをしているのではない。前にもどこかで言いましたが、書くとは、自分の中の他者に向けたギリギリの行為ではないのかと思うのです。まずはその自己検証をしないで、雰囲気のあるお行儀のいいポエムな言葉(本当の詩からはほど遠い言葉)を、ブログとやらに並べたてているたくさんの人々。もしかすると、彼らは僕よりもはるかに大人だということなのでしょうか、だとすれば僕は恥じ入るしかありません。
なんだか今日は、妙にほんとうらしいことを書いています。
僕は、過去の文章をこのブログらしきものの埋め草に使っているうちに、ひとつ確認したことがあるのです。僕は、忘れたい後悔を忘れようとしているのではなく、忘れていた後悔を思い出し、改めて後悔し直してみようとしているのだ、ということ。
明日とあさって、ふたつほど、過去のノートをそっと貼り付けて記事にしてみようと思っています。埋め草に使うことなど全く考えてはいなかった過去をふたつ。数ある後悔のうちの、ひとつのちいさな後悔が生まれる前のふたつの日記。
検索エンジンがソッポ向いてるうちに、ずっと後悔であったのだということを、極めて私的に、君にまず伝えておこうと思うのです。現実は時にとても希薄なのだから、会ってしまえば、きっと茶化して、もういいさ、もう忘れちまおうってなことになりかねないから。小さな後悔を僕に残して去った、ふたつのあの時のように。
とてつもなく忙しいが、自分が蒔いた種なのだから仕方ありません。
なかなか認知されない、それもまた致し方なしです。
認知されればされたで、別の難題が降りかかってくるのに違いありません。会社のOfficial Siteを作ることが、吉と出るのか凶と出るのか、ともかく、自分の本当の顔を隠して、営業用の言葉を駆使することも、ボチボチ考えなければならないということなのでしょう。
こういうことを書いてしまうからいけない。しかし、まだまだ検索エンジンがソッポ向いているうちに、言いたいこと言ってしまおうと無責任に考えています。言いたいことを言い終わるまでは、直帰率の高い怪しいサイトのママにしておきます。
50も過ぎると、時々終わりを考えます。若い頃考えた死とは違います。過去だけで残った人生を生きるのも悪くないとも思うのです。
定年を迎えた世代には、自分史を書き残したいという人が大勢いるのだと聞きます。あんまり気の利いた趣味だとは思いませんが、しかし若者がブログを書くのとどこが違うのでしょう。僕も人のことは言えません。
過去は後悔に満ちています。死を準備する者たちは、きっと後悔だらけの過去を少しでも違ったものとして、自分の人生も捨てたもんじゃなかったと、自分自身にか、残した子供たちにか、信じ込ませるために粉飾した自分史を紡ぐのです。
一方ブログを書く若者は、今日の後悔は今日のうちに片をつけておかないと、明日を生きることができないほど耐性が欠如しているということなのかもしれません。
僕は、いったいどっちなのだろう。
過去のノートを、このブログらしきものの埋め草にしているのですが、実は使える文章は2割もいいところです。その他は危なっかしくて、公開できる代物じゃない。ちょいと修正すれば使えそうなものもあるが、そんな苦労するくらいなら、新しくでっち上げた方がはるかに早い。
使えない大量の過去の文章を眺めていると、今の若者はブログで満足できているのだろうかと思えてきます。誰にも読ませない日記でなければ吐露できない叫びというものが、君たちにはないのかと。他者を意識して冷静に書くことが大事だなんて、嘯(うそぶ)いてはいけません。なんでもありのおかしな掲示板のはなしをしているのではない。前にもどこかで言いましたが、書くとは、自分の中の他者に向けたギリギリの行為ではないのかと思うのです。まずはその自己検証をしないで、雰囲気のあるお行儀のいいポエムな言葉(本当の詩からはほど遠い言葉)を、ブログとやらに並べたてているたくさんの人々。もしかすると、彼らは僕よりもはるかに大人だということなのでしょうか、だとすれば僕は恥じ入るしかありません。
なんだか今日は、妙にほんとうらしいことを書いています。
僕は、過去の文章をこのブログらしきものの埋め草に使っているうちに、ひとつ確認したことがあるのです。僕は、忘れたい後悔を忘れようとしているのではなく、忘れていた後悔を思い出し、改めて後悔し直してみようとしているのだ、ということ。
明日とあさって、ふたつほど、過去のノートをそっと貼り付けて記事にしてみようと思っています。埋め草に使うことなど全く考えてはいなかった過去をふたつ。数ある後悔のうちの、ひとつのちいさな後悔が生まれる前のふたつの日記。
検索エンジンがソッポ向いてるうちに、ずっと後悔であったのだということを、極めて私的に、君にまず伝えておこうと思うのです。現実は時にとても希薄なのだから、会ってしまえば、きっと茶化して、もういいさ、もう忘れちまおうってなことになりかねないから。小さな後悔を僕に残して去った、ふたつのあの時のように。
7月 4日金曜日: 《1983年9月2日のノート》
カテゴリ: 《過去のノート》
北海道を走っていると、頻繁に自衛隊の隊列に出会う。昨日、大韓航空の民間機がソ連機に撃ち落とされた。
かつてブレヒトは、自らの時代について、「階級と階級、民族と民族との間の偉大な戦いの行われている時代」と言った。
しかし、今やいかなる戦いも「偉大」ではない。
ブレヒトの時代。マルクスを生んだドイツ人。
白旗を握りしめ、掘った穴に息をひそめて涙ぐむ。
かつてブレヒトは、自らの時代について、「階級と階級、民族と民族との間の偉大な戦いの行われている時代」と言った。
しかし、今やいかなる戦いも「偉大」ではない。
ブレヒトの時代。マルクスを生んだドイツ人。
白旗を握りしめ、掘った穴に息をひそめて涙ぐむ。
7月 3日木曜日: 《1983年9月1日のノート》
カテゴリ: 《過去のノート》
現実と想像の世界を幾度往復してみても、その異なった次元は決して作用し合うことはない。僕の生活は、結局何も変わらない。とめどなく、苦々しい。
ブレヒトの原理はひとつの局面でしか通用しない。しかしそれは行動の原理である。僕にはこの原理が無い。それでも毎日生きている。腐った生活である。死なぬ限り逃れられない。
「俳優はあらゆる気質を自分の中に育てあげなければならない。その矛盾性によって生かされなければ、役は生きてこないからだ。」(ブレヒト)
もしかすると、俳優であるということを素直に受け入れてみれば、納得のいく行動の端緒が見えてくるのかも知れない。
「歌は語れ、語りは歌え」と言ったのは古川ロッパであったか。いまだ歌は語るものであるのかもしれぬが、昨今、語りは歌ってはならないのだ。
ブレヒトの叙事的演技。あるいは後期ブレヒトの弁証法的演戯。「こんな事があった……」という「歌う」ことから最も遠い「意識的演技」。
だが、《「歌わないようにする事」とは「もっと巧みに歌う事」だ》、という程度の芸談風「へ理屈」が、結局現実の限界なのだという気がするのだ。
矛盾とは、生命の危機のことだ。演技している自分を客観的に俯瞰している自分・・・そんなもの、矛盾ではない。芸談に過ぎない。
ブレヒトの原理はひとつの局面でしか通用しない。しかしそれは行動の原理である。僕にはこの原理が無い。それでも毎日生きている。腐った生活である。死なぬ限り逃れられない。
「俳優はあらゆる気質を自分の中に育てあげなければならない。その矛盾性によって生かされなければ、役は生きてこないからだ。」(ブレヒト)
もしかすると、俳優であるということを素直に受け入れてみれば、納得のいく行動の端緒が見えてくるのかも知れない。
「歌は語れ、語りは歌え」と言ったのは古川ロッパであったか。いまだ歌は語るものであるのかもしれぬが、昨今、語りは歌ってはならないのだ。
ブレヒトの叙事的演技。あるいは後期ブレヒトの弁証法的演戯。「こんな事があった……」という「歌う」ことから最も遠い「意識的演技」。
だが、《「歌わないようにする事」とは「もっと巧みに歌う事」だ》、という程度の芸談風「へ理屈」が、結局現実の限界なのだという気がするのだ。
矛盾とは、生命の危機のことだ。演技している自分を客観的に俯瞰している自分・・・そんなもの、矛盾ではない。芸談に過ぎない。
7月 2日水曜日: 認知してもらうために。
カテゴリ: 社長のつぶやき
まずは「商品」を作る。作ったらその次、いかに認知してもらうか。
歩くしかない。そして、会って聞いてもらうしかない。
しかし、今の時代、インターネットというやつを、どうやら無視することはできないらしい。
いい小説を書いたからといって売れるわけじゃない。文藝家協会で聞いた話。
「今は売り方なんだよね、ネットでどう宣伝するか」
インターネットで告知する方法を考える、こいつは歩く必要がない。じっと一日中デスクに座ってPCと格闘していればできること。知識とセンスがあれば、誰かと会話する必要もない。歩くより、はるかに楽な仕事だ。
そんなことないですよ、それなりに大変です・・・
そうかなあ。間違いなく、歩いて人に会うより、ずっと楽だろう。ほんとに人と会うことのできる人って、どのくらいいるんだろうか。
インターネットには世界中の歩きたくない怠惰で半端な連中が集まってくる。そして困ったことに、彼らの中には、ほんとうに有能な連中がゴロゴロいるのだ。そんな連中と勝負して、インターネットの世界で、どうやったら商売になるだけの人を集めることができるのか。
ホームページなるものを作ってみた。ブログなるものも、商売のために始めてみた。しかし、さあ俺はここにいる、殺せるものなら殺してみろと叫んでみるのだが、誰も振り向かない。敵の後姿さえ見たことがない。
人気のホームページにするためには、人間のやることなのだから、やっぱり人間的な魅力がなくっちゃねときたもんだ。こういうことやっちゃいけないだとか、人気のブログに共通する要素はどうだとか、雑誌がそんな特集組んだりなんかして、どうやらインターネットの中で好かれる人間になるためには、定型のパターンに従うことが必要だということらしくて、なんともつまらない話だ。
違うのである。雑誌なんか信じては、成功はおぼつかないのだ。
舞台に立てば、観客をひきつける術は知っている。いい脚本があればの話だが。しかし、インターネットという舞台はどうも勝手が違う。雑誌の特集なんかじゃ、お客様の気持ちを考えるという単純なこと、みんな同じだと、もっともらしいこと書いてあるんだが、やっぱり違う。マルクスは言った。量が増大していくと、ある時をもって質も変化するものだと。ほら、こんなところでそんなものを持ち出すから、誰も読まないブログになる。
検索エンジンに認知させる方法、まるで宇宙語だ。
でも、ゲームとしては結構おもしろい。このあたりが、どうもやっかいなのだ。
amazonに、サイトの特徴を勝手にあちらで判断して、関連する商品を自動的選んでくれるというアフリエイトのシステムがある。きっとこれも検索エンジンみたいなのが絡んでいるのだろう。おもしろいから、ちょいとサイドバーに貼り付けてみよう。はたして検索ロボットは、当サイトをどのように認識しているのか。(わけのわからないことばだらけ。この文章を親父に見せたら、完全にボケたかと沈没するに違いない。)
やっぱり違うのである。しかし、どうしていいのかわからないのだ。
インターネットは間違いだがテレビならいいのか。テレビまでがダメで、舞台ならOKか、そんなわけはない。いや、こいつは話がズレてしまった。善悪の話をしていたわけではない。
ともかく、何かが違うのだ。
紙飛行機を飛ばす高校生を振り向かせることと、巨大なシステムの向こうにいる顔の見えない大勢の人々に気づいてもらうことと、いったい何が違うのだろう。
教訓。政治家と社長は、弱った神経を見せてはいけません。
御心配なく。今日のわたくしの言葉は、すべて嘘なのですから。
歩くしかない。そして、会って聞いてもらうしかない。
しかし、今の時代、インターネットというやつを、どうやら無視することはできないらしい。
いい小説を書いたからといって売れるわけじゃない。文藝家協会で聞いた話。
「今は売り方なんだよね、ネットでどう宣伝するか」
インターネットで告知する方法を考える、こいつは歩く必要がない。じっと一日中デスクに座ってPCと格闘していればできること。知識とセンスがあれば、誰かと会話する必要もない。歩くより、はるかに楽な仕事だ。
そんなことないですよ、それなりに大変です・・・
そうかなあ。間違いなく、歩いて人に会うより、ずっと楽だろう。ほんとに人と会うことのできる人って、どのくらいいるんだろうか。
インターネットには世界中の歩きたくない怠惰で半端な連中が集まってくる。そして困ったことに、彼らの中には、ほんとうに有能な連中がゴロゴロいるのだ。そんな連中と勝負して、インターネットの世界で、どうやったら商売になるだけの人を集めることができるのか。
ホームページなるものを作ってみた。ブログなるものも、商売のために始めてみた。しかし、さあ俺はここにいる、殺せるものなら殺してみろと叫んでみるのだが、誰も振り向かない。敵の後姿さえ見たことがない。
人気のホームページにするためには、人間のやることなのだから、やっぱり人間的な魅力がなくっちゃねときたもんだ。こういうことやっちゃいけないだとか、人気のブログに共通する要素はどうだとか、雑誌がそんな特集組んだりなんかして、どうやらインターネットの中で好かれる人間になるためには、定型のパターンに従うことが必要だということらしくて、なんともつまらない話だ。
違うのである。雑誌なんか信じては、成功はおぼつかないのだ。
舞台に立てば、観客をひきつける術は知っている。いい脚本があればの話だが。しかし、インターネットという舞台はどうも勝手が違う。雑誌の特集なんかじゃ、お客様の気持ちを考えるという単純なこと、みんな同じだと、もっともらしいこと書いてあるんだが、やっぱり違う。マルクスは言った。量が増大していくと、ある時をもって質も変化するものだと。ほら、こんなところでそんなものを持ち出すから、誰も読まないブログになる。
検索エンジンに認知させる方法、まるで宇宙語だ。
でも、ゲームとしては結構おもしろい。このあたりが、どうもやっかいなのだ。
amazonに、サイトの特徴を勝手にあちらで判断して、関連する商品を自動的選んでくれるというアフリエイトのシステムがある。きっとこれも検索エンジンみたいなのが絡んでいるのだろう。おもしろいから、ちょいとサイドバーに貼り付けてみよう。はたして検索ロボットは、当サイトをどのように認識しているのか。(わけのわからないことばだらけ。この文章を親父に見せたら、完全にボケたかと沈没するに違いない。)
やっぱり違うのである。しかし、どうしていいのかわからないのだ。
インターネットは間違いだがテレビならいいのか。テレビまでがダメで、舞台ならOKか、そんなわけはない。いや、こいつは話がズレてしまった。善悪の話をしていたわけではない。
ともかく、何かが違うのだ。
紙飛行機を飛ばす高校生を振り向かせることと、巨大なシステムの向こうにいる顔の見えない大勢の人々に気づいてもらうことと、いったい何が違うのだろう。
教訓。政治家と社長は、弱った神経を見せてはいけません。
御心配なく。今日のわたくしの言葉は、すべて嘘なのですから。
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