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3月28日土曜日: 成婚50周年の穿った穴

カテゴリ: 三太郎
ご成婚50周年なのだという。しきりに特番が組まれている。

沖縄。
「ひめゆり」の「洞穴」は「聖地」である?
火炎瓶。
ヘルメットに「沖縄解放」の文字。
何があってもいいという「お言葉」。
そして、6箇所の慰霊碑を巡る…

以来、沖縄が変わったのだというプレゼン。
実はこの文章は、4月に書いているという僕のペテン。

4月に聞いた話を付け加えてみる。
学徒隊は「ひめゆり」ばかりではない。
特番で、その人のことが扱われるはずであった。
しかし。
その人は、一番はやく「あの人」に「お会いした」生き残り。
その人は、「ひめゆり」が嫌い。
その人は、「あの人」が嫌い?好き?
流された特番から、その人のことは消されていた。

何かを操作するプレゼンはペテン?
それとも、穿った僕の方がペテン?
「穿つ」という言葉は、知られざる本当のことを言うという意味。
「穿った僕」という言い方がペテン?

僕の書斎の壁は、いつしか穿った穴でいっぱいになってしまっていて、そこから三太郎が、いつもこちらを覗いて観察している。
そろそろ、引っ越すか…


カテゴリ: 三太郎
このまえ三太郎さんがいらっしゃったのはいつだったかしら。あなた、おぼえていらっしゃる? いったいどうしているのかしらねえ。
え?だから、三太郎さんのことですよ。もう、また、なま返事。あなた、あたしの言うこと聞いていらっしゃいますの。いつもそうなんだから。

あら、珍しい、いったい何を読んでいらっしゃるの。ちょっと見せて、いいじゃないの、ちょっとだけ。
へえ、懐かしい、「泥棒日記」。おかしなこと。なんでまた今頃ジュネの小説なんかを引っ張り出してきたのかしら。やだわ、またあの頃を懐かしがっていらっしゃるわけね。もういい加減になさったらよろしいのに。あたしのような、一度お天道様から免罪符を与えられてしまった男娼には、あなたの期待する異形のものの力なんて、もうどこにも残ってなんかいませんからね。そんなつまらなそうな顔なさらないでください。あなたにとってはつまらないことなのかもしれないけれど、あたしはそれで幸せなの。この上ない幸せ。一握りの天才の勝手な思い込みで、つらい役回りを一生背負わされて、若い頃はさ、それがとっても価値のあることみたいに勘違いをして、母親に会えなくなってしまったことも、ほんとうに愛する人を諦めなければいけないことも、天才たちの作品で埋め合わせることができるのだと信じていたのだけれど、今となっては、なんだか夢のよう。

ちっちゃな世界になっちゃったなんて、ついてもしかたないため息なんか、もう決してつかないでください、お願いですから。あなたが見ていた大きな世界は、万華鏡のいたずら、合わせ鏡の幻だったのです、きっと。
だってあなた、考えてみてください。サルトルもコクトーも、ジャン・ジュネが一生牢獄の中で暮らすことを強いられて、その代償で得られる異形のものの神秘な力なんか、ちっとも望んでなどいなかったということを。あの人たちが求めたのは、ジュネが解放されることだけ。ジュネが抱えていたような悲しみを、幻ではないこの現実という世界から、永久に消し去ることこそが、天才たちの希みだったのではないのかしら。

お願いです。どうか嘆かないでください。あなたの子どもたちのために、人間の未来を信じてみようよ。全ての人が幸せに生きている世界を、単純に夢見てみようよ。

あなたの目からとめどなくあふれ出てくる涙を、わたしは限りなく愛しく思います。その全てを掬い取ってみたい。

あなた、ありがとう。たくさん喧嘩もしたけどさ、わたしはあなたに守られて、嬉しかった。でも、きっと、もう大丈夫です。私を憎んでいた年老いた母親から、戻ってくるようにという葉書が届きました。
そんな目で、どうかあたしを見ないでください。

ああ、あなたは気づいてしまったのね、あたしと、三太郎の関係を……

へっへ! ちっ…
お前のそのどす黒い胸に、真っ赤な一本のバラを突き刺してやろうか!たった独りのこの部屋で、自殺という名の完全犯罪。

1月30日金曜日: 三太郎の偽者が現れた

カテゴリ: 三太郎
「最初から順番に読んでもさっぱりわからないんですが。」
と突然現れたその青年は、《苦笑》と書かれた札を首からぶら下げている。
「パーツで見ると色と形がバラバラなモザイク模様も、少し離れて全体を眺めてみると、何らかの像を結ぶという事なんでしょうか。でも、まだまだ壮大なパズルのピースは足りないようですね《苦笑》」
ふふん、“さっぱりわからない”ねえ、でも、それが正しい読み方なのさ。
しかし君は勘違いしている。偉大な理解者は、作者を裏切りながら、散らばったピースを自ら組み立てるものなのだ。

「ところでさ、君は誰なの」
「三太郎です」

もし本当の三太郎なら、俺の掌に足跡を残しているはずだ。だが、こいつの身の丈はデカ過ぎる。
訝しがる俺の気持ちを察したのか、
「まともな世界の住人です」
なんとも中途半端な難解さ。

「私のような、いわゆるインフルエンサーが寄ってくる事もあるのではないかということです」
またまたちょこっと訳のわからないことを言う。インフルエンザならおととい来い。タミフルは効くのか。
「効果のほどは怪しいですが」

もし君が、三太郎の名を騙る偽者ならと、目を瞑って海を見た。
南の島の小高い丘の、こんもり繁った森の中の、一番立派な木の上に小屋を建て、海の見張り番として雇ってみるのも面白い。きっと毎年その島には、赤道直下の懐かしい国、あのポストリアから、見たことのない土産をいっぱい積んで、真っ赤な船がピチピチチャプチャプやってくるのだ……
俺は妄想をどんどんと膨らませ、しばし目の前の君を忘れてみた。《笑》

《苦笑》… 
「笑っちゃいかん」
どんなに奇想天外に見えることも、思い続けていると、結構実現するらしいということが、最近だんだんわかってきたのだ。

とは言うものの、やりたいことの全てをやり遂げるには、どうやら残された俺の人生は、十分な長さにはだいぶん足りないということを、君はわざわざ伝えに来てくれたらしい。俺が三太郎くらい若ければ、昼は黴臭い古書に読み耽り、夜は夜で、希望という広大な世界の不可能性について、過ぎる時を忘れて友と語りあっていたいのだが、もはやそんな贅沢は許されず、とっとと分かりやすさという武器を獲得しないと、誰からも相手にされなくなるということらしい。
友達などいらないと強がってはいるが、本音はさ、朝まで酒を酌み交わす新しい相手が欲しいのだ。旧友は、様々な理由で、一人ひとり去っていくものだから。

本日のネタは、三太郎という妖精の住むミクロの世界で綴った日記から拾ってきたので、並べた日付はむちゃくちゃな時系列。

でも、難解な言葉のほうが後世まで生き残るのは何故なのだろう。
「なるほど、それは考えてみる価値がありますね。」

騙されてはいけない。なんだか今日は、俺が三太郎のようだ。
妄想は、意図に反し、「難解」という世界に向けて加速していく……



カテゴリ: 沖縄の、こと
この日記は、2月の7日に書いている。

7日は「なのか」と読む。だが、「なぬか」が正しいのか。
よく分からぬが、「なぬか」が転じて「なのか」になったというから、「なぬか」の方が「なのか」より古いらしい。

「49日(しじゅうくにち)」は「なぬか」が7つである。そのひとつ目を「初七日」という。
「初七日」の次が「49日(しじゅうくにち)」なのではない。沖縄では七日毎に、「になんか」「みなんか」…と、七回の法事(?)がある。このことは、いずれ書く。今日はそのことではない。

7日は「なぬか」なのか「なんか」なのか。駄洒落のように、いい加減な話であることに違いはないが、今日はこの話題でもない。

今日? 本当の今日は1月の8日(ようか)ではなく2月の7日である。「社長とは呼ばないで」が、ひと月遅れになりそうだから、慌てて書いているのである。 つまり、本当は2月の沖縄への旅から帰ってきて、それからこれを書いているのである。

大城立裕氏に御教授頂いた話。自作の「ノロエステ鉄道」の「三月三日」は、「さんがつみっか」ではなく、「さんがつさんにち」と読むのだと。かつての沖縄ではそうだったのだと。

沖縄の年配のインテリは、大城立裕の「立裕」を、「りつゆう」と読み、また、そう呼ぶ。しかし、大城立裕御本人は、「たつひろ」であることに拘っているように見える。

本当の今日は、娘の誕生日である。
かみさんの実家で、「いつ帰るのか」と聞かれたから、「むいかに帰る」と答えたら、「ろくにちね、ななにちは、なちる(娘の名)の誕生日やしね」と言われた。
「ああ、そうか」と言ったら笑われた。本当は、叱られたのかもしれない。

そういえば、沖縄の人は会った時すぐに、「いつ帰るのか」と聞くから、内地から来た者は歓迎されていないのかなと勘違いするという話が、10年くらい前、よくあったのだが、最近はあんまり聞かれなくなった。この類の話にも流行があるらしい。
しかし、本当は、歓迎されていると思うほうが、もしかしたら勘違いなのかもしれない。

ところで、この「社長とは呼ばないで」というブログの表題のところに、「最初の記事に行け!」と書いてあるが、それは最初の記事を読めば理解できるということではない。最初から順番に《全部》読まないと、理解できないぞという意味なのであるということを、沖縄の大切な友の一人に伝えておこう。
友の名は「三太郎」。嘘。嘘から出た誠。
そうしたら、そのうち、友達ひとりもいなくなったりして、そして本当に歓迎されなくなったりして……
「いつまでいるの」と聞かれたら、危ないサインかな?

本当のこととは、なんなのか。

春彦さん、お帰りなさい……
どこから? あるいは、どこへ?

三太郎曰く、「さっぱり、わからん」

それが正しい読み方なのである。



カテゴリ: 書斎で書くこと
相も変わらず、昔の読書ノート。
古き思い出の言葉の積み木遊び。

1984年
9月11日
大江健三郎「われらの時代」
「日本でリアリスチクな論理の眼を保ちつづけているとコミュニストは絶望せざるをえません。したがってかれはリアリズムを放棄することでコミュニストの純潔を保つ。」
「愛」と「出発」は、両立不可能。

9月14日
マルキ・ド・サド「ファクスランジュ あるいは野心の罪」
「人間は希望をもてばもつだけ、自殺ができなくなるものなのだ」

三太郎が、ひと月ぶりに残した落書き。
「弁解」



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