こんばんは。始めてお目にかかります。三太郎の執事で御座います。

三太郎の命により、お届けものを持参して参りました。
いえいえお構いなく、すぐに退散いたします。ただ、このところの三太郎様のご様子もお伝えしておいたほうがよろしかろうと、いえ三太郎様にお変わりはございません。ただ、三太郎様は、あなた様のことを大変お気にかけているようで、そのことをお伝えしておきたいと、わたくしめの勝手な考えで御座います。

今月の初め頃でしたでしょうか、あなた様が《頭痛日記》なるものを認め始められたのは。三太郎様はその時、こんなことをおっしゃっておられました。
「いよいよ、穴ぼこから出てきたようですよ。でもそれが頭痛日記とはねえ。屈折しているにも程がある。沖縄沖縄と何かと匂わしておられるが、このペースだと沖縄にたどり着くのはいったいいつのことになるのやら。」
そう語る三太郎様はとても楽しそうでいらっしゃいました。
「しかし、なぜ《穴ぼこ》から《頭痛》に到る84年から86年の、ほぼ2年間をすっ飛ばしてしまわれたのだろう。たぶん、そこに大きな秘密があるはずなのだが、しかしそれについても、今後ちょこちょこと小出しにしていかれるらしい。注意していないと、読みすごしてしまうね。できれば読みすごしてもらいたいというような意志も感じる。しかし、こんなややこしい構造のブログらしきもの、私くらいコアな読者でなければ全く理解不能ですね。まあ、ご本人は伝えるということを半ば諦めていらっしゃるらしい。死んだ後に、子供達だけでも読んでくれればいいくらいに考えておられるのでしょう、きっと。」
そのお顔はまじめではありましたが、でもどこかアカデミックな研究についてお話されているようで、それはそれで楽しんでおられるようでした。

しかし、ここ数日、三太郎様の様子が一転したのです。眉間に皺を寄せて、なにかとてもご心配なことがおありなご様子、わたくしは、どうかいたしましたかと、お声をかけずにはいられませんでした。
三太郎様はわたくしの質問にはお答えにならず、その代わり、三太郎が数日前、あなた様の書斎に潜り込んで持ち出した古いノートを、お返しに行くようわたくしに御命じになったのです。
お詫びが後になってしまいました。大変申し訳御座いませんでした。三太郎の勝手な振る舞い、いくらあなた様よりお許しを頂いているとはいえ、あなた様の命より大切なノートを持ち出すなどもってのほか、心よりお詫びいたします。でも、これも三太郎のあなた様への思いがさせたこと、どうかお許し頂きたいと存じます。
今晩はそのお預かりしたあなた様の大切なノートをお返しに上がった次第です。あなたに知られずに持ち出したものですから、やはりそっとお返しすることもできたのですが、あえてお詫びを兼ねてお会いするよう、三太郎より申し付かったのです。そしてもうひとつ、三太郎様からあなた様へのご伝言が御座います。
まず、これを見ていただきたいのです、あなた様の古いノートに引かれた新しいアンダーラインです。1983年7月、あなたが公開することをしなかったメモです。

文学座アトリエ「G・R・ポイント」
…感動、上質の演技、だが深遠さの欠如、演出助手T君の思い、それら全てのアンバランス
……舞台と現場の現状との差異という現実。

〈ペスト〉=理性の破壊。(脳と肺が侵される。)肉体の復権。カミュの「ペスト」、既成小説の否定。新たな小説の模索。〈小説の自己否定〉
〈エイズ〉=性欲の破壊。新たな理性の時代へ。芝居のモチーフとして。肉体崇拝への警鐘。新たな演劇。〈演劇の自己否定〉

「飲食より、呼吸の方が、上等な作用である」
(森鴎外「ヰタ・セクスアリス」)

そしてこのアンダーライン、二箇所の「自己否定」の文字に引かれた二本の線、これは、あなた様が最近引かれたものですね。もうお隠しになる必要はありません。腎臓癌は脳と肺に転移するのですよね。ただ、三太郎様もただ者ではありません。あなたのお体を心配しているのではない。事実あなた様が簡単に死ぬはずはないと確信されておられますし、たとえこの現実であなた様が死んだとしても、お悲しみにはならないでしょう。そうではなく、あなた様が「自己否定」の文字にアンダーラインを引いたということなのです。もしかしてあなたは、また原罪というような、無味乾燥な穴ぼこへ戻ろうとしておられるのではないですか。もしそうなら、それだけは絶対におやめいただきたいと、そのことをはっきりとお伝えしてこいと申し付かったので御座います。
加えて、三太郎が心配しているなどとは決して言うなとの命令だったのですが、わたくしの一存でお話してしまいました。このことは、三太郎様には内密にお願いいたします。わたくしが叱られてしまいますので。

長々とお邪魔いたしました。わたくしがこれ以上申し上げることは何もございません。これで失礼いたします。お元気でお過ごしください。