許したと言われたからといって、人は戻ってこない。
いったい何をもって、人は人を許したり許さなかったりするのだろう。
罪を償えば許されるのかもしれないが、しかし罪が消えることはあるまい。きっと、許されても消えない罪があることを知っているから、許されても、人は戻ってこない。

再びのこと。いったい何をもって、人は人を許したり許さなかったりするのだろう。
お互いに許さないと言う。どちらが正しのか。きっとどちらも正しい。そして、どちらも罪を背負っている。
何度でも言う。人間とは、そのようにしか生きられないのだ。

どうしても許せぬことがあるというなら、お前はそれを永遠に許してはならない。それがお前の正しい「行き方」なのだから。しかし、お前が許さないというその相手もまた、お前を許すことはないだろう。どちらの方が正しいのか、決着などつける必要はない。どう転んでも、お前の「正しさ」が消えるわけではない。

僕は君を許したと言う。しかし、いくら許してもその罪が消えないのなら、許す許さないなどどうでもいい。
俺はあなたを許したと言う。しかし、本当に許されていないのは、いったい誰なのか。

もう何も語る必要はないのだから、ぷいっと出ていってしまえばいいのだ。そして、知らぬうちに、そっと戻ってくればいい。消えぬ罪を抱えたままに。

本当にこのわたくしが戻りさえすれば、貴方がたもお戻りになられるのでしょうか?
おやめなさい、そんなふうにお考えになるのは。

今日、僕は、たくさんの過去を束ねて、そうして思い出しているのだが。
僕は、沖縄の芝居を書き始めるのです。それは来年のことか。それとも15年前のことなのか。

「ユルスって、どういうことなのですか?」
南国の少女が、じっとこちらを見つめながら、僕らに、そう問いかけている。