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カテゴリ: 書斎で書くこと
五ヶ月ほど前、mixiの日記とやらでいったい何を書けばいいのかと、つまらぬことを考えていた。そしてこんな文章を書いてみた。

出力と入力のバランスが大幅に崩れている。量的にも、質的にも。ここ数年、仮面だけで生きている。本当の自分に嘘をついて。仮面が、本当の顔に貼りついて剥がれなくなるような恐怖。このまま続けていると、きっと、精神が崩れる。肉体が精神に左右されるものなら、肉体に致命的な変化が起きるのも時間の問題だという気がする。
しばらく、外部との通路を遮断して、隠匿生活を送るのがいいということは分かっているのだが、それを許してくれる者がどれほどいるだろうか。無責任になれるほど人間ができてはいない。今のうちに、なにか手立てを講じないと、きっと、すべてが崩れていく。
てなことを、魔がさして、こんなところで「出力」すること自体が、崩れ始めている証拠らしい。

そして、最後に「覚書」と付記した。
嘘を書いたわけではない。しかし、なんでこんなことを書いたのだろう。何か戦略でもあったのだろうか。それはない。たぶん本当に崩れ始めていたのだろう。
すると、「心配です。5月が影響しているのでは」なんて、いたって健康的なコメントを頂いた。これがいやだから、僕はこの「社長とは呼ばないで」を、コメントなど付けられないようにしているのだ。
貰ったコメントには返事するのが礼儀らしく、だから僕は……
「何が嫌いって宣伝が大嫌い、それをしなければならないというのが一番の原因かもしれません。厚顔無恥の自分を眺めるのは、なんとも苦痛です。もっと軽やかに素敵に生きたいのだけれども、なかなか難しい」
と、さも尤もらしい反応をしてみたのだが、そうしたら途端に崩れているなんて嘘っぱちになっちまった。まるで心配されたいからダダをこねていたみたいではないか。

さらに……
「仮面をつけていらっしゃるのですか? 素敵・・・」
こっちのほうが断然うれしい。しかし……
「ここでは仮面を外すといいですよ。どんどん出力しましょう」
いやいや、それは出来ぬ相談。ちょいと踏み込み過ぎです。

そこでちょいとズラしてこう答えてみた。

考えてみれば、人間の顔なんて全て仮面なのかもしれません。問題は、さまざまな理由で出力しなければならない場面が増えて、気に入らない仮面も被らなければならなくなったということのようです。でも、そうしなければ支えられないものもある。また一方で、そのことによって壊したくないものが壊れていくこともある。どちらを選ぶかに正解は無いはずですが、どうやら僕は、近しい人間に評判の悪い選択をしてしまうようです。最も近いのは家族、それから心配してくれる友達……
太宰治曰く、諸悪の根源は家庭の幸福。
しかし、自分の家庭も幸福に出来ないような人間に、世界を語る資格があるのでしょうか。
あるいは、自らの家庭の幸福を顧みないからこそ、世界について語れるのでしょうか。

ここにいたって、ただの薄っぺらな言葉の遊び、ほとんどペテンである。
しかし嘘はひとつも語ってはいない。だから他人様を騙したわけでもない。問題は、他人様の勝手な善意の解釈に、心して応答しているうちに、いつしか自分自身を裏切っていく。

そういう場所は、きっとmixiだけではない、と読み返して思ったというだけのこと。


10月15日木曜日: 時間の無駄

カテゴリ: 書斎で書くこと
3ヶ月半ほど前、mixiの日記という気色悪い場所で次のようなことを書いた。

東京あたりでは携帯サイト関連の会社はみんな縮小されてきている。やがてはどんどんと消えていくだろう。そうした現状で携帯のために時間を割く気にはならない。将来を見通した上での費用対効果を考えると、携帯への対応を検討する必要性が見つからない。

すると携帯mixi依存症患者から「サイトをケータイから閲覧したコトが無いのでは」みたいなコメントが届いた。話しのステージが理解できていないらしい。残念な解析力の持ち主である。おまけに「意図の伝わらない文章を書く側に問題アリ」と、全く脈絡のない文面。失礼極まりないことを言っているのかそうではないのか、なんだかさっぱり分からない。あえてへたくそな文章を書いて逃げ道を作っているのか。だとすれば質の悪いチンピラである。

「ケータイでの閲覧者を気にしなければよいだけかもしれませんけどね」
だからハナからそう言っているだろう。いや違うな。「しなければよいだけかもしれませんけどね」、こんな気持ち悪い言い回しでまとめられるのは断固としてお断りである。
それだけではない。例えば携帯は「けいたい」であって「ケータイ」ではない。先輩に送るメッセージにそういう言葉を使って平気という感覚が大嫌いなのである。

こういう類に返信すると、結局本質的な問題からどんどん離れていくことになる。その愚に付き合う暇はない。何度でも言うが、要は将来的に見た費用対効果の問題なのである。だが、本当はもう少し付け加えなければならない。情報の上っ面をサラッと撫でていくような、携帯電話の端末のようなスタイルのアンテナでは、ボクが伝えたいメッセージは受信できないだろうということであり、そういうアンテナに合わせたメッセージの氾濫が、現代の言説を変質させ、複雑さに対する耐性を失わせているのだ。

ひどく詰まらないことを書いた。時間の無駄。費用対効果ゼロ。


9月28日月曜日: 社長など辞めた方がいい

カテゴリ: 社長のつぶやき
一年前にmixiとやらに書いた日記。

「なんとなく踏ん切りがついた。
閉ざされた世界に大切な言葉を置き去りにはしないと心に決めた」

しかし、語ってはならないこともある。
それがここまで増えてくると、やっぱり社長など、辞めた方がいい。



カテゴリ: 沖縄の、こと
表のブログに書いたこと。

南の、100万人の
閉鎖市場。

要するに、全く違う文化圏なのである。沖縄でたくさんの沖縄本が出版されるのは、本が売れるからではない。別の原動力がある。
商売のはなし。つまり、沖縄本を出したって、儲かることなどまずないということ。百花繚乱の沖縄本であるが、利益を出すほど売れる本など、殆ど存在しないのである。

全く違う文化圏。その共通理解がまずあれば、諸々複雑な問題も、相当話しやすくなるはずなのだ。沖縄も、新潟も広島も、北海道も、それぞれ地域性が異なる事は、どこも同じでしょ、などとおっしゃる方々と、まず交わさなければならない頓珍漢な議論は、できれば省略したい。

簡単にまとめるなというかもしれない。だが簡単にまとめてなどいない。複雑な現実は、表のブログを丹念に読んでもらえれば、嫌というほど書いているつもりだ。
そして、もっと複雑なことは、この「社長とは呼ばないで」で吐露している。つまり、実は「沖縄は全く違う文化圏だ」と言い切ることもまた、現実の各局面においては左程簡単なことではないのだ。

「つまりね。様々なシチュエーションにおいて、違うと言われて喜ぶタイプと腹を立てるタイプがいるということ。」
「なんだい、その程度の複雑さか」
「だからさ、今日は商売に限ってのはなししかしていない」

僕は、自分のことを「~なタイプ」と分析する女性が大嫌いなタイプの男性です。


8月 2日日曜日: 本当に書きたかったこと

カテゴリ: 沖縄の、こと
本当に書きたかったことは別にある。会社の看板を背負わされた告知板に、オキナワのBURAKUのことを書くなど、できることではない。
ならば最後まで書かなければいい。“社長とは呼ばないで”などという卑怯な逃げ道を作って、敢えて一年も遅らせてそれを世界に向けて発信するようなゴマカシを、「関係各位」はどう思うか。

気にしてはいない。それよりも何よりも、先が見えてきた自分の人生の隙間を、きちんと埋めておきたいと思うのみである。それによって笑顔だった何人もの知人が、しかめ面して僕から去っていくことになるのだとしても、まったくかまわないと覚悟している。そして、去った人間は、その程度のものだったのだと、僕は傲慢に言い放つだろう。

「人類館事件」を正しく理解する? 
そういうお前は、きっと何も理解していない。そんなちっぽけなことはどうでもいいのだ。本当に言いたいことに較べれば、「人類館事件」の別の側面など、あったとしても塵芥である。

本当のことを聞かされても、お前たちはなお、民族のアイデンティティなどという魔物を振りかざして、永遠の憎しみの種を蒔こうとするのか。お前たちは、お前たちが最も憎む敵と、同じ罪を抱えた腹違いの兄弟なのである。お前たちが読んでいる歴史書に何が書かれているのだとしても。
勘違いしてはいけない。僕は憎しみの話をしてはいない。ただ、子を失った母の感情が唯一絶対であるなどとは、決して言いたくないのである。
ただの県民の利害の違い、誰にも転居の自由がある、そう主張する能天気な者達のほうに、はるかに親近感を覚えるのだが、そういう彼らが日の丸を打ち振るう熱狂を目の当たりにすると、人間とはかくも絶望的な生命体なのだと頭を垂れる。

お前たちには、この僕を殺す権利がある。そして、人間とは、絶望の異名であって、殺された僕の屍を閉じ込めた檻を、僕は新人類館と呼ぶのである。


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