腎臓がんに完治というものはないらしい。20年経っても転移する。だから僕は、もう保険には入れないらしい。
肺に転移する可能性が一番高い。次に脳、そして骨。まれに皮下。肺に転移しても、一個づつゆっくり出てくるようなら、モグラ叩きの要領でいちいち潰していけばなんとかなる。だが一度に複数ポコポコ出てくるようだと、なかなか厳しい。骨が痛くなったらすぐ来いと医者は言う。脳はちょっとねえ、などという。時々背中とか二の腕を触って、しこりがないか確かめろともいう。
思い切って聞いてみたことがある。
「もし骨とか脳とかに転移したとして、それが分かったとして、助かるものなんですかね。」
「まあ、難しいですよね」

片腎だから、残った一個の腎臓を大切にしろと言われた。だが、どうすればいいのかよく分からない。
尿路結石は命取りになる。小便が出なくなったら、すぐ救急車を呼ぶこと。2、3時間遅れると命がない。

こう書いていても、なんともつまらない。つまらないから、人間は、単なる不摂生が祟っての病気なのに、それに意味を持たせたりして、なんとかそれにしがみついて、何かを乗り越えようとするらしい。《頭痛日記》も、また然りである。

過去の体の変調は、ほぼ完璧にこの「社長とは呼ばないで」のロジックの中に組み込まれ、そしてこの長編小説は、当初の計画通りに進んでいくはずであった。だが、現在進行中の毎日が、計算されたロジックを嘲笑い反逆していくのだ。とはいうものの、今の僕を取り巻く現実が、全く僕の支配の及ばぬところにあるということではなく、例えば自分で創造した小説の主人公が、筆を進めていくうちに、勝手に予期せぬ形へと変貌していくような、そんな快感に似ている。

今日の僕の論理は、完全に破たんしている。

大城立裕氏が、沖縄タイムスに自伝的な文章を連載していた。だがそれには、氏のご家族のことは一切出てこない。なんだか今の僕には、それにノンを唱えたいといういたずら心があるのだ。

大城先生、あなたの人生にも、予期せぬたくさんの苦しみや、そしてごくごく単純な楽しみもまたあったのではないですか。それらは、大城先生の人生のロジックを、ほんのちょっとでも破たんさせたのではないですか。

僕は、このブログらしきものの姿をした企てに、あの手術から後に起こったちいさな出来事たちを、ほんとに時々だけれど、載せてみようと思う。いったい、どんな破たんが訪れ、そしてあたらしい展開が生まれるのか。
なぜだかちっとも説明がつかないのだけれど、どうしてもそうしてみたくなったのだ。

今日の僕は、完全に破たんしている。